本の紹介(No.6)

「脱常識”定年”講座 男の長距離人生」(加藤 仁著)

  本書は、定年後のさまざまな生き方を著者がリポートしたもの。
54ページに一人の経営者の”生き方”がクローズアップされている。
  三木清は「人が学問するのは、本来独立である人間が真に自由独立に
なるためである。」(『学問論』)と説き、永井荷風は「世問のつまらぬ不平や
不愉快を忘れるには学問に遊ぶのが第一の方法である。」(『新帰朝者日記』)
と書いた。
  本書の著者加藤仁は、この二人の先達の言葉を思い出させるのが
日産火災海上保険の元社長・本田精一氏(大正12年生まれ)の学びの
精神であると述べている。本田は「いま第3の人生と思っております。
第1は軍人、第2は企業人、第3は研究者です。ただし文部省ご奨励の
生涯学習とは無縁な高等遊民と自負しています」と語る。
  本田は、職業軍人として中国の奥地へ赴き、負傷し九死に一生を得た。
しかし右手は動かず、かろうじて左手で用をたせる身となってしまい帰国した。
戦後、左指三本で文字を書く練習からはじめて九州大学経済学部に挑み、
卒業後は日産火災に勤務する企業人となった。
  「上司とは諍い(いさか)いばかり、本社業務課長だったのが九州支店の
営業所長になるという、降格的な人事も体験しました。」と当時を懐古する。
  それでも這いあがり、4期8年にわたって社長をつとめた。新商品を開発
したり、労務担当の時は夜間に東大で「労働法」を学んだりの正攻法が社内で
認められたからだ。
  総会屋につけこまれるような社長ではなく、「徹夜になってもかまわん」と
言い放って、長期戦を恐れることもなく株主総会に臨んだ。
  65歳で社長を退任した後は取締役相談役として会社を牛耳ることもなく、
文字通りの相談役を短期間つとめた。この時期から念願の中国史研究に
取りくみはじめ、東大東洋文化研究所で若い研究者達と読書会を開くなど
将来に備える。
  社長を退いて2年後の67歳のとき、郷里の福岡へと帰る。ここからが本田の
次の人生だ。
  その年、本田は九州大学文学部に学士入学を果たす。東洋史研究室の
研究生となったのだ。
  「いまさら修士や博士をめざす気もない。学部生、大学院生、留学生諸君の
邪魔をせんようにして文献を読ませてもらい、1年に1本のペースで論文を
書きたいと思いましてね」本田氏は語る。
  研究テーマは「宋代商業史」。繁栄をきわめたその時代は、本田氏が企業人
として生きぬいた時代と重なる。この時代、大都市にはペットフード店や飼い犬の
運動を請け負う職業が出現した事も、千年後の日本と似ている。(O.R)

(1999年・ビジネス社・1300円+消費税)

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