本の紹介(No.17)

「青春の司馬遼太郎」(三浦 浩著)

  著者三浦浩は1930年の生まれ。島根県の浜田中学(旧制)に学び1953年
(昭和28年)3月、新制大学の第1期成として京都大学文学部仏文科を卒業、
産経新聞社に入社した。同期入社に大阪外語大フランス語科を卒業した
中野萌子がいた。後の俵萌子である。「中野萌子」の名は、その妹の優子と
ともに本書の各所にちりばめられている。
  入社後まもなく異動で配属された編集局大阪文化部に福田定一
(後の司馬遼太郎)がいた。まだ29歳だった。
  本書は「福田さん」が辞めた1961年3月までの交遊を書き綴ったもの。
司馬遼太郎没後間もない1996年9月に『菜の花の賊 小説 青春の司馬さん』
(勁文社)として出版され、今般文庫本としてタイトルを改めて刊行された。
  ところが、著者三浦浩は文庫本が世に出る前の1998年に死去している。
  当初、「小説」と銘打って出た本であるが、本書は司馬遼太郎を中心にすえた
”青春回顧録”である。京都大学在学中の文学活動や卒業後の交流も描かれて
いる。小松左京、高橋和巳は京都大学からの友。高橋和巳が警察に捕まった
という自動車泥棒事件の経緯も語られている。
  また、産経新聞の同僚たち中野萌子、奥村宏、俵孝太郎…。新進学者
梅棹忠夫の名も出てくるが、まだノースウェスタン大学から帰ったばかりの
大阪市立大学理工学部助教授であった。
  司馬遼太郎は魚が嫌いだった。ツケで酒を飲むのが嫌いだった。「風神」の
クレジットをいれたコラムを精力的に書いていた。
  このようなコマゴマとした新聞社勤務時代の司馬遼太郎が、7歳年下の著者に
より生き生きと描かれている。
  また、「聞いた話」として旧制弘前高校(現弘前大学)の入試に失敗したことや、
復員後、高野山大学で仏教を学びたかったが断念したこと。そしてみどり夫人との
出会いについても書かれている。司馬遼太郎研究には欠かせない資料である。
(O.R)

(2000年・朝日文庫・580円+税)

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