本の紹介(No.21)
「この人からはじまる
ーーカップラーメンからキャバレーまでーー」 (鹿島 茂著)
インスタントラーメンを発明、食生活に革命をもたらした安藤百福、
VANを起業しファッションの概念を変えた石津謙介、一代で期界の王に
駆け上がり、キャバレー太郎の異名をとった福富太郎、「芸能プロ」の
近代化をはかり、ホリプロを作った堀威夫等……。本書は戦後日本を
独自の個性とパワーで駆け抜けた奇才・天才たちの姿を鮮やかに描いた
作品。登場人物は全部で12人。フランスの社会・風俗の研究者の著者が、
多数の文献を駆使して、また取材を併用して描いている。
本書は元々月刊誌「東京人」の1994年1月号から12月号まで連載された
もの。連載当事在命であったものの亡くなった人物もいる。三木鶏郎
(ミキ・トリロー)もその一人。「東京人」掲載が七月号、1994年10月4日に
亡くなっている。
「明るいナショナル」、「ワ・ワ・ワ・輪が三つ」、「うちじゅうで みんな
キリンキリン」、「くしゃみ3回ルル3錠」といった多数のCMソングを世に
送ったのが三木鶏郎(1914〜1994)である。
三木鶏郎(本名繁田祐司)は東京・飯田橋の生まれ。父は判事から
転じた弁護士、欧米のブルジョワ家庭の雰囲気に近いリベラルで文化的な
家庭に育った。音楽の才が豊かで、小学生の頃に、すでに”作曲”も始めて
いたという(156ページ)。
旧制浦和高校(現埼玉大学)から東大法学部に入学した。この間2度
受験に失敗、浪人中に小野アンナのもとに通い音楽の基礎を身につけた。
東大卒業後日産化学に入社する。しかし、1年足らずで徴兵をうけ、近衛
歩兵第三連隊に入隊する。
31歳のとき終戦。日産化学に復職するため復職願いを書いているとき、
都民バンドと改名した海軍軍楽隊のスーザのマーチが耳に入る。ナマの
音に触れ聞きほれたすえ「法律も会社もクソクラエ」と思い、日産科学への
復職をやめた。その後の紆余曲折の末、1946年1月のNHKラジオの「歌の
新聞」を経て翌年10月に丸山鉄雄プロデューサーの元に「日曜娯楽版」が
スタートする。「日曜娯楽版」はキツーイ風刺が売り物だった。三木のり平、
河井坊茶、丹下キヨ子、楠トシエ、千葉信男等多くのタレントが、この番組
から育った。「毒消しゃいらんかね」、「俺は特急の機関士」など三木鶏郎
作詞作曲の歌が大流行した。
NHKは政治的圧力に屈し、「日曜娯楽版」の看板を「ユーモア劇場」と
変更したが、1954年6月13日に放送中止となった。ちょうどその頃、民放が
隆盛となり、三木鶏郎はCMソングの作詞作曲に専念、多くの「トリロー節」を
送り出した。本書により、日本におけるCMソング第一号は三木鶏郎作詞
作曲の「僕はアマチュアカメラマン」(小西六写真工業)だという(173ページ)。
(O.R)
(2000年・小学館文庫・638円+税)