本の紹介(No.24)
「二つの顔で生きるーー作家として、
銀行マンとしてーー」 (山田智彦著)
本書の著者山田智彦(やまだ・ともひこ)は、1936年横浜市の生まれ。
戦時中の小学校3年のとき、父の郷里岐阜県稲葉郡鏡島村に疎開した。
県立岐阜商業高校から早稲田大学文学部に進む。小説家志望だった。
大学在学中、「末裔」「現代」の二つの同人雑誌に関係したが、思うように
作品が書けず、「無名のまま卒業」となった。必死になって就職口を探した。
商業高校出身のため、ソロバンや簿記ができることが認められ、文学部の
学生でありながら東京相互銀行に入社が決まった。これが、1958年
(昭和33年)のこと。景気は悪く、就職は困難を極めた。入社は、
いわゆる定期採用(前年10月に試験を受けて合格した大学卒定期
採用者)ではなく、不定期採用としての合格であった。大学でドイツ文学を
学んだ著者が銀行に就職した裏には、このような背景があった。不定期
採用組の一人だった著者は(定期採用者と異なり)入行式があるわけ
ではなく、4月17日になって呼び出しがあり、横浜支店に配属になる。
東京相互銀行は、別名「足の銀行」という異名があった由。著者が配属
されたのは得意先係。各営業マンは、各町別によって分けられた営業
地区を担当する。毎日、その地区内の取引先を訪問、各種預金や掛金の
受けいれなど諸々の業務をこなし、夕方銀行に戻る。当初の2週間は
見習期間。新入得意先係の著者は、先輩について取引先まわりを
開始する。
見習期間が終わると、本店に召集され研修を受ける。会長、社長、専務、
常務等々の講話がある。この中で最も印象に残ったのが、当時常務だった
長田庄一。「何でも吸収出来る感受性の豊かな時代に、さまざまな業種の
取引先に出入りして、預金や融資の折衝をする。世の中にこんなに勉強に
なることはない。きみたちは銀行から給料を貰いながら、こうした貴重な
勉強が出来る、きわめて恵まれた存在だ。たんにソロバンをはじいたり、
記帳したりするだけの仕事をしている者たちにくらべると、、何倍もの体験、
願ってもない体験が、向こうからきみたちの方へ近寄ってくる。」という長田
常務の講話の内容の一部が、本書に収録されている。後年マスコミで報じ
られた長田庄一の人物像(乱脈経営の責任者)と重ね合わせてみると、
興味深い。
本書が単行本として発行されたのが1978年のこと。当時のタイトルは
『体験的クロスオーバーのすすめ』(講談社)。それから約20年、東京相互
銀行は、1989年に東京相和銀行と社名を変え、更に1999年6月に
破綻する。著者自身、このことを「文庫版あとがき」に言及している。
以上のような銀行マンとしてのスタート。そして、銀行に勤めながら
著者は学生時代の”夢”であった「文学」にも回帰していく。本書のもう
ひとつのテーマは、「文学界へのデビュー」であるが、このテーマに
ついては、「読んでのお楽しみ」としておこう。(O・R)
(2000年・河出文庫・640円+税)