本の紹介(No.39)
「新宿熱風どかどか団」(椎名誠著)
1980年、椎名誠は35歳。「ストアーズレポート」の編集長を足掛け10年目、
友人の目黒孝二と共に創刊した「本の雑誌」は4年目に入っていた。隔月刊の
筈が、そのサイクルは守れず、年5回のときもあった。発行部数は2近かった。
当時の「本の雑誌」の事務所は、新宿区信濃町の古いマンションにあった。
その前は地下鉄丸ノ内線四谷三丁目の4〜5人が入ればいっぱいという部屋。
信濃町に移った。1980年という年は「FOCUS」、「週刊宝石」が創刊された年で
あることをつけ加えておこう。
四谷三丁目時代、すでに群ようこは「本の雑誌」のスタッフとして事務をとって
いた。ただし、その時の名は「木原ひろみ」。群ようこの名で「本の雑誌」に文を
書き、それが一冊の本『午前零時の玄米パン』となるのは1984年のことである。
この1980年、椎名誠は朝日新聞からの依頼で「マガジンジャック」という
コラムの連載をはじめる。第1回目は「月刊フルハウス」、第2回目は「暮らしの
手帖」を評して、「“よい子のおばさん雑誌”で朽ちるにはまだ惜しい」などと
ニクマレ口をたたく。そんなムードのコラムだった。
椎名誠の売れっ子ぶりはだんだんと加速する。『さらば国分寺書店のおばば』
の売れ行きが良く、次の作品を書き下ろすために南紀の温泉宿にカンヅメになる。
しかし、仕事は進まない……。
朝日新聞コラムに続いて、スポーツ雑誌「Number」への連載も始まる。そんな
こんなで1980年11月、ストアーズレポート車を辞める決断をする。
このように、椎名誠の回顧録は面白おかしくも淡々と続く。中央公論社発行の
文芸誌「海」の編集をしていた村松友規、カヌーの野田知佑、「太陽」編集長だった
嵐山光三郎等との出会い(3人とも当時の「本の雑誌」への寄稿者)、沢野ひとし、
弁護士の木村晋介や前出群ようこ、目黒孝二、の個性豊かな人物が起こす
ドタバタ劇も随所に織り込まれている340ページ弱の本。描かれているのは1980年と
その翌年のことである。
(2001年・朝日文庫・600円)