本の紹介(No.10)

近世高士伝」(森 銑三著)

  この本は、昭和17年に黄河書院より出版されたものである。森 銑三氏の
近世人については、文庫本で「増補新橋の狸先生
私の近世畸人伝」が1999年に
出版されている。内容的には、文庫本で紹介されている人と、近世高士伝で
紹介されている人は全く重複していない。"新橋の狸先生"の森氏は”書誌学、
近世文学、人物研究に多大な業績を遺した森銑三…”と紹介されている。
もちろん森氏は既に全集「森銑三著作集」(中央公論社、1988年)が出版されて
いることは多くの人が知っていることと思う。
  さて、「近世高士伝」には12名の人が紹介されている。この”高士伝”という
名の書物は中国(著者は”支那”という言葉を使っている)ではあるが、日本には
まだなかったのでここで使ってみる事にした、と序文で書いている。

  この本で紹介されている12人の名前、生年、歿年齢、分野、師は次の
通りである。
            生 年   歿年齢     分 野         師
 1.若林強齋   延寶7年   54歳   漢学者・神道家  浅見絅斎
   
  (きょうさい)  (1679)
 2.山口春水   元禄5年   80歳   若狭藩士・漢学者 若林強齋
    
 (しゅんすい) (1692)
 3.雨森芳洲   寛文8年   88歳   漢学者       木下順庵
    
 (ほうしゅう)  (1668)
 4.梁田蛻巌   寛文12年  86歳   漢学者・漢詩人  人見竹洞
    
(ぜいがん)   (1672)
 5.賣 茶翁   延寶3年   89歳   僧侶(黄檗)・茶人 月耕道稔、独湛性瑩
   
(月海元昭)   (1675)
 6.宮崎いん圃  享保2年   58歳   漢学者       伊藤東涯、伊藤蘭嵎
            (1717)
 7.趙陶齋    正徳3年   74歳   書家         笠庵浄印、田辺希元
   
(ちょうとうさい)  (1713)
 8.鈴木正長  享保17年  75歳  
下野黒羽藩士・農政家 
     (為蝶軒)  (1732)
 9.久保木竹窓 寶暦12年  68歳   漢学者       松永北溟、清宮棠陰
     
(ちくそう)  (1762)
 10.小宮山楓軒 明和元年  77歳   漢学者       立原翠軒
     
(ふうけん)  (1764)
 11.良寛     寶暦8年   74歳   僧侶(曹洞)・歌人 玄乗破了、北越巡錫
            (1758)
 12.小島蕉園  明和8年   56歳   医者
     
(しょうえん) (1771)
                           参考図書 国書人名辞典(岩波書店)

  漢学者が7名紹介されている。年代的には1660年代から1850年代まで
生存した人達である。本文435頁のうち、若林強齋、趙陶齋、小宮山楓軒に
夫々40頁余りが割り当てられているが、、小島蕉園には90頁分と他の人の
2〜4倍の頁数が割り当てられている。最も多く割り当てられている小島蕉園
とはどのような人だろか。
 蕉園は、35歳のとき甲州田中の代官になったが、3年で辞め江戸に出て
貧しい町医者として15年程生活した。53才の時再び一橋領遠州波津の代官に
就任し、文政9年56歳の時、同地で没した。町医者としての「小島蕉園伝」
(重田定一著)がある。また、随筆「在東記聞」(伊勢桑名藩儒員片山恆齋著)に
蕉園について非常に詳しく紹介されている。特に、蕉園と関係の深かった人物、
居住していた場所、医者としての活躍、など数多くのことが記載されている。
  最後の項目に、蕉園の父”唐衣橘洲
(からごろもきっしゅう)”のことが紹介されて
いる。橘洲は、寛保3年(1743)生まれ、狂歌師、本姓”小島源之助”、徳川
田安家の臣、小十人頭、明和末年に四方赤良
(よものあから)・平秩
(へずつ )東作らと
狂歌合せを催し、天明狂歌流行の端緒を開いた。

(M.D)

参考図書 日本文学史辞典(1982年・京都書房)

(森 銑三著・昭和17年・黄河書院)

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