本の紹介(No.12)

日本及日本人」(大正4年10月臨時増刊郷土光華號)

  この雑誌は、今からおよそ85年前の大正4年10月大典奉祝記念に
発行された特集号である。口絵は狩野探幽筆による”月夜の富嶽”、
挿絵は新進画家30人による執筆、題言は三宅雪嶺による”静富嶽及び
動大瀛”、題詩は”建邦”、”一尊”、”登極”、”日月”、奉祝俳句は碧梧桐。
力の入れ方は並々ならぬものを感じさせる。内容は、全国各地のお国
自慢を投書により掲載している。どのような基準で投書の掲載を決めたか
定かでないが、顔ぶれの一部を見ると当然のことながらお国出身の
著名人が加わっているようだ。
  明治維新からおよそ50年を経過したことで、新しい日本と幕府時代の
日本の多方面に渡る比較を試みている。50年では、まだ幕府時代を
完全に捨てきれない人が多くいることが覗える。しかし、この雑誌の性格から
考えて、伝統を大事にする意見を多く取り入れている事は当然と言える。
  掲載したお国自慢に関する投書の数は、およそ270件におよぶ。
また本文のページ数も650頁と膨大なものとなっている。雪嶺は主筆として、
”江戸より東京へ”を25頁にわたって著述している。
  掲載されたお国自慢の中から、項目の主なものだけでも極一部では
あるが
取り上げてみる事にしたい。
1.足利学校の新研究《下野》中山太郎(80ページ)
   1) 足利学校創立の根本的研究
      足利学校の事蹟   下野国誌(河野守弘)
                   足利学校事蹟考(川上繁樹)
                   足利学校遺蹟考(足利町役場)
      足利学校創立事由 @ 承和6年に小野篁が上野守となり、
                    任国に下った折に創立したという説
                   A 古く下野の国府に在った国学を
                    後世になって移設したという説
                   B 足利義兼の創立説
                   C 七世の孫、足利尊氏の創立説
   2) 足利に於ける韓国帰化人の痕跡
   3) うおの道稚郎(うおのわかいらっこ)の薨去事件と足利
   4) 学校の創立者は僧鑁阿
(ばんあ)ならむ
   5) 足利学校古書散逸の内情
2.江戸時代の大名行列《武蔵》山下重民(118ページ)
   1) 行列の厳粛
   2) 行列の作法
   3) 行列の準備
   4) 行列の人数
   5) 行列の服装と道具
   6) 諸家行列の格式
3.長崎宮日祭《肥前》松尾孫二(174ページ)
   1) 宮日祭
(ぐにちまつり)(九日祭)
   2) 踊町
   3) 傘鉾
   4) 庭見世
   5) 新衣揃(にいぞろい)
   6) 當任町
   7) 小舍入
   8) お下りお上り
   9) お旅所
   10)白ドッボ組
4.我が国の自慢《甲斐》土屋夏堂(186ページ)
   1) 甲州葡萄
   2) 水晶
   3) 甲州印伝
   4) 甲斐絹
   5) 武田信玄
   6) 日蓮宗総本山
5.若越の誇り《若越》上田三平(326ページ)
   1) 継體天皇大御世系の碑
   2) 新保の漂流民
   3) 浦見川普請
6.薩摩及び薩摩人《薩摩》三宅光華(339ページ)
   1) 山河の形勝
   2) 上代の事
   3) 加久藤越
(かくとうごえ)
   4) 隼人種
   5) 上下の階級
   6) 年中行事
7.筑後名数《筑後》黒岩玄堂(399ページ)
   1) 日本一
   2) 二帝の行幸
   3) 三硯学
   4) 四国主祭
   5) 五荘屋
   6) 工芸会の六恩人
   7) 七不思議
   8) 農業界の八恩人
   9) 国自慢九種
   10)十名産
8.信濃富士付近の伝説《信濃》棒葉太生(458ページ)
   1) 其昔湖水の底に在った吾郷土
    ▲ 碧梧桐氏は其『日本の山水』の山嶽篇に施いて次の如く
      書いている。…
    ▲ 有明山と其麓の斜面的高原と其又東に広がる安曇(あずみ)
      とは実に吾郷土であるのだ。…
    ▲ 安曇平は有史以前一面の湖水で満たされて居ったと言ふ
      伝説がある。…
    ▲ 泉小太郎と名付けて観世音菩薩の化身である。…
    ▲ 穂高見命の一族”日金咲命日”(ヒガネサキノミコト)岐の山を
      切り開き湖水を北海に落とすという事になっている。
    ▲ ホタカミノミコトの語の因って来る所を研究する必要が起る、…
    ▲ 古のホタカミ高原は今の穂高郷のみならず日本アルプスの
      裾野の斜面全部の事で…
    ▲ 飛騨も亦ヒガタなりヒタカミなりホタカミなりと云い得ると思う。…
    ▲ ホタカミノミコトは特定の一人の名とは受け取りかねるのである。…
    ▲ 穂高見命即ち穂高嶽命でないかと云う…
    ▲ 山腹より山腹にかけて往来したる痕跡のみの…
    ▲ 鬼の足形石なるものがあって、昔鬼がこの平野を徒歩する労
      を厭い一気に躍り越えた時、踏み掛けた足の跡という…
   2) 有明山の古名トバナシダケの考証
    ▲ 処富士はお国自慢の罪の無いのである。…
    ▲ 有明山は日本アルプスの一前哨である。…
    ▲ アリアケはアイアチ即間明で、夜明(ヨアケ)と 明時(アケトキ)との
      中間を意味する語である。…
    ▲ 古名を戸放(トバナシ)嶽又は鳥放(トリハナシ) 嶽と云った事がある。…
    ▲ 蟻の戸渡は間(あい)の飛渡りなのだ。…
    ▲ 古語でトワタリ=トワリ=トリと云った事を吾輩が苔むす歴史の
      墳墓から発掘したのである。…
    ▲ トリ井はトワリ井で険岨の所に居るの意である。…
    ▲ ハナは突隆、尖端、奇硝である。…
    ▲ カケは懸けの結晶で崖である。…
    ▲ ”こつ々”として巨巌の累積する一奇勝トリヤッコがあるに就いて
      である。…
    ▲ トリイヤヒコダケなる古名のあった事…
   3) ごろごろしておる花崗岩
    ▲ 吾郷土安曇平が千畳敷なら其西の高原の行き詰まりに雲外に
      屹立している有明山は脇息に凭 (よ)って見下ろす御殿様、…
    ▲ 有明山は其昔一日一日と其高さを増したのである…
    ▲ 恐ろしい山である一例は昔から21年毎の其6月20日が山頂に
      ある有明奥社の遷宮祭であるが…
    ▲ ギシキ八面大王と云うのが居たと言う嶽窟がある。…
    ▲ 峨々たる巌の上に百体の石佛を安じた所あり…
    ▲ 山腹に傘岩と云う巨岩が今に平野へ転がり落ちそうにしている。…
    ▲ 膳椀伝説が付着している岩窟なのだから、…
    ▲ 滝の沢の剣摺り鉢なるものがある。…
    ▲ 人間が鬼となって山に入った昔話がある。…
9.吾熊野《紀伊》辻 由松(511ページ)
   1) 熊野の名義
   2) 神武天皇御上陸地
   3) 熊野三山の由緒
   4) 其他の名所旧蹟
    ○ 花の窟
    ○ 瀞八町
    ○ 那智瀑
10.戸田茂睡と南佐久《信濃》鈴木覺治郎(520ページ)
   1) 茂睡の碑
   2) 萬葉口伝大事
   3) 御當代記
   4) 色紙短尺の事
   5) 守本尊十一面観世音之縁起
   6) 葉月のわかれ
   7) 古今集三木三鳥大事
   8) 末学初見集
11.我郷土の誇り《因幡》鳥取農工銀行(602ページ)
   1) 安徳天皇御陵墓参考地
   2) 宇倍神社
   3) 摩尼寺
   4) 因幡海岸の風色
   5) 大山
   6) 夜見ヶ濱・中海
   7) 瓊子内親王御廟
   8) 名和神社
   9) 美徳山三佛寺
   10)大江神社
   11)三朝温泉
12.播磨のほこり《播磨》廣月絶軒(612ページ)
   1) 菅笠
   2) 凍菎蒻
(こんにゃく)
   3) 後藤又兵衛基次
   4) 中田憲信
   5) 播磨の刀匠
13.信濃特殊人物言行一斑《信濃》唐澤貞治郎(666ページ)
   1) 坂本天山の気骨と我国の砲術
   2) 佐久間象山活きたる学問に志す
   3) 高井鴻山の韜晦
   4) 渡邊金内の節義
   5) 村上義光錦旗を奪ひ還へす
   6) 村上英俊の研鑚
   7) 仁科五郎信盛の義烈
   8) 真田信幸の妻本多氏の操節
   9) 小笠原長時祖先の為に節を守る
   10)真田昌幸の孤軍徳川秀忠に抗す
   11)小笠原貞頼絶海の孤島を発見す
   12)石城義臣討幕を企つ
   13)伊藤軍兵衛単身外人の旅館に切込む
   14)一茶の磊落権門を憚らず
   15)多田嘉助絶命まで救民を絶叫す
   16)知久香坂諏訪諸氏の苦節
   17)太宰春台の剛直
以上、270件のうちのわずか13件の、主な項目だけを羅列しただけに
止まってしまったが、詳細の方は中を読んで頂くと”なるほど”あるいは
”そんなことがあるのか”など色々なことが判明するが、現在の感覚では
理解できないことが多くあると思われる。しかしこれも、各地方に伝わる
立志伝中の人々が多く、他府県の人々にとっては馴染みのない人や
項目が多く紹介されているからであろう。初めて目にする事について、
もっと関心がある方は、是非図書館など文献で読んで確認して頂きたい。
特に地方史に関する事は当該地方の図書館でなければ検証する事は
出来ない事が多い。(M.D)

(八太徳三郎編輯人・大正4年・政教社)

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