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本の紹介(No.16)
「時事年鑑」(大正12年・時事新報社編纂)
この本は、今からおよそ80年前の大正11年11月に時事新報社から
発行された年鑑である。大正デモクラシー真っ只中の時代に発行された
ものである。日本の経済力は現在では考えられないほどの数字が表されて
いる。明治維新から55年しか経過しておらず、現在の日本が敗戦後55年
経過したのと同じである。時代背景、政治・経済の状況、情報・通信・交通の
進歩、など条件は異なるが、日本が今抱えている問題が80年前も一部に
あったことが覗える。
この年鑑には、当時の情報の伝達手段がラジオ、新聞、雑誌が主体で
あったことから考えると相当数の情報が入っている。太平洋戦争直前、
日本国民に発表された情報と比べると一目瞭然である。
「時事年鑑」は、大正7年9月初めて発行され、この大正12年版は
6冊目に当る。本書の総ページ数は、会社紹介、目次が14n、本分899n、
巻末索引32nからなっている。この年鑑1冊で日本及び世界のことが
ほとんど全般に渡って紹介されている。
目次の紹介をしよう。
時事新報略歴 産業 地方
帝国憲法 工業 属領
皇室 商業 諸知識
爵位勲功 外国貿易 世界
国土、民人 財政 列国
立法議会 金融 暦
行政官庁 衛生 哀悼録
外交 航空 追録
神社、宗教 運輸 索引
教育 通信 広告目次
裁判 芸術
国防 運動競技
年鑑としての体裁は、上記に掲げた目次でほぼ満たしていると言える。
現在でも情報通信、流通、マスコミなど一部の分野を除いては、この目次で
十分対応できるであろう。
挿入されている鉄道地図を見ると、東北の日本海側、四国の太平洋側
九州の太平洋側の一部が未完成路線となっている。今から80年前の交通は
まだ鉄道さえ完備されていなかった事が分かる。例えば、東京から新潟へ
行くには高崎から長野、直江津経由で行く事になる。また、名古屋から
金沢、富山など日本海側へ行くには、米原か直江津経由で行かなければ
ならない。紀伊半島、山陽と山陰の間には鉄道が一本も開通していなかった。
従って、船を利用していく方法が取られていたに違いない。江戸時代は
ほとんどが船を利用していたのだから。
一方、皇室の紹介の内容を見ると、”天皇”、”皇后”、”皇子”、”皇妹”、
”東宮摂政”、”皇后宮九州行啓”、東宮北海道行啓”、”皇室典範”
(増補第一次、第二次)、”皇族”等を詳細に行っている。昭和2桁以降の
時代になると、皇室の情報は非常に限られたものに変化していった。この
時代は、まだ公表された方かもしれない。
有爵位者(公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵)1,112名(内地950名、朝鮮62名)
の名簿が掲載されている。また、勲章の功級別年金額が掲載されている。
最上級である一級の年金額は1,500円、最下級の七級は100円となっている。
因みに当時の内閣総理大臣の俸給は12,000円、各大臣は8,000円、4つの
帝国大学総長は7,000円、各省庁の局長級は5,000円代であった。
動態統計の中の婚姻、離婚の推移を見てみよう。
婚姻 離婚
離婚率(離婚/婚姻)
明治17〜21年 305,409件 112,294件
36.8%
22〜26 389,823
111,850 28.7%
27〜31 413,047
112,893 27.3%
32〜36 357,644 64,805 18.1%
37〜41 399,843 62,254 15.6%
42〜大正2 436,116 59,270 13.6%
大正 3〜 7 458,286 58,770 12.8%
8 480,136 56,812 11.8%
9 549,279 55,830 10.2%
現在の数値と比べると低い事は事実であるが、男尊女卑の封建時代の
名残が残る当時の数値として見れば興味深いのではなかろうか。
各県別多額納税議員互選資格者名簿が発表されている。納税額の
全国トップは、大阪の”住友吉左衛門”(264,910円)、2番は兵庫の
”河内研太郎”(117,227円)、3番は大阪の”林 竹三郎”(110,627円である。
最低納税額互選資格者は、沖縄の”田中彌吉”(253円)である。上記の
高級官僚の俸給額と比較すると納税額の高さが分かるといえる。
外交機関として在外公館があり、大使館がイギリス、フランス、ベルギー、
ドイツ、イタリア、アメリカ合衆国の6ヶ国に設置され所在地が明記されている。
寺院、住職の項目には、仏教の各宗派毎の檀家(徒)、信者(徒)数がある。
寺院数 71,711
住職 52,894人
檀家(徒) 30,028千人
信者(徒) 15,495千人
最高教育機関として、当時の帝国大学(東京、京都、東北、九州、北海道)の
状況を見てみよう。
学部 24
講座数 652
教員数 1,026
学生生徒 9,472
卒業者 2,541
東京帝国大学に対して、奨学金を1万円以上寄付している個人、団体が
40件掲載されている。また、特定の研究、講座に奨学資金を1万円以上個人で
寄付しているのが18件掲載されている。
学位授与者については、別途取上げるのでここでは省略することとしたい。
国防に従事している者の人件費については次の通りである。
陸軍 海軍 計 1人当り
勅任(大将、中将、少将) 1,224千円 741千円 1,965千円 59,545円
奉任(佐官、尉官) 27,056千円 10,584千円 37,640千円 1,848円
判任(準士官、下士官) 2,093千円 9,653千円 11,746千円 605円
計 30,373千円
20,978千円 51,351千円
駐屯地での1人当り俸給
一等下士官 542円 一等兵 183円
二等下士官 338円 二等兵 146円
三等下士官 268円 三等兵 128円
四等兵
62円
将官の俸給が内閣総理大臣(12,000円)と比較して際立って高いのが分かる。
艦艇表が出ている。この時代はまだ戦時体制になっていなかったためと思うが、
公表できたのではなかろうか。
戦艦 陸奥、長門、日向、伊勢、山城、扶桑、朝日、敷島
巡洋戦艦 榛名、霧島、比叡、金剛
一等巡洋艦 日進、春日、磐手、出雲、八雲、吾妻、常盤、浅間
二等巡洋艦 鬼怒、名取、由良、五十鈴、長良、木曾、大井、北上、
多摩、球磨、龍田、天龍、など
航空母艦 鳳翔、若宮
水雷母艦 駒橋、韓崎
敷設艦 勝力、阿蘇
一等海防艦 富士
二等海防艦 満州、武蔵、大和
一等砲艦 安宅、最上、淀、千早
二等砲艦 嵯峨、鳥羽、伏見、隅田、宇治
一等駆逐艦
二等駆逐艦
三等駆逐艦
一等水雷艦
二等水雷艦
特務艦
潜水艦
次に、農業について紹介しよう。
自、小作別農家戸数
自作 1,683千件
小作 1,558千件
自作兼小作 2,244千件
計 5,485千件
米収穫高 62,638千石
大麦収穫高 8,431千石
裸麦収穫高 7,188千石
小麦収穫高 5,494千石
商業の部では、資本金1,000万円以上の会社が207社紹介されている。
その内29社が繊維業である。
重要貿易品で、”輸出入国別”の項目がある。(国名などは当時の
表現をそのまま使用)
単位:千円
輸出 輸入
アジア洲 支那 173,238 90,964
関東洲
36,600 90,287
香港 35,555
219
英領印度 41,816 147,027
蘭領印度 23,879
31,587
その他 3,234
53,440
計
341,322 46.4% 413,524 37.4%
欧羅巴州 英吉利 25,591 134,370
仏蘭西 38,641 11,745
独逸 2,072
58,491
白耳義
972 8,748
その他
3,882 21,961
計 71,158 9.7% 235,315 21.3%
北亜米利加州 合衆国 286,156
369,248
加奈陀
5,952 9,841
その他
940 3,944
計 293,048
39.8% 383,033 34.6%
南亜米利加州 3,437 3,719
阿弗利加州 4,634 11,329
その他(仮置場、不詳を含む) 22,342 58,780
総 計 735,942
1,105,704
この時代は、輸出に比べ輸入が、およそ1.5倍に上っていたことが分かる。
中でも、インド、イギリス、ドイツ、アメリカ合衆国からの輸入は、全体の64%を
越える金額となっており、この20年後にドイツを除く国との戦争に突入する事と
なったのである。(M.D)
(大正12年・時事新報社)