本の紹介(No.25)

明治前期 財政経済史料集成 第一巻
                                 (明治文献資料刊行会)

  この本は、昭和初期に数百部発行されたものを、昭和37年復刻版として
再発行されたものである。タイトルの通り、明治維新史を研究するための
一環として、日本資本主義の成立過程が「幕末の開港貿易を契機とする
商業高利貸資本の巨大な蓄積が、維新政府の殖産興業政策に促されて、
国家の温室的な保護育成によって、産業資本に転化する過程」であることを
見なければならないとしている。本書は、全部で21巻刊行されたが、ここでは
そのうちの第一巻を紹介することにしたい。
  本書は、”理財稽蹟”と”松方伯財政論策集”の2件が掲載されている。
  理財稽蹟は、明治11年パリ万国博覧会に日本代表として大蔵大輔
松方正義が出席するに当り、作成されたものである。本書を作成した理由に
ついて解題に、外国において日本の財政経済事情を紹介し、先進諸国と
比較した場合、問題が多かった日本の財政経済上の指針を得ようとしていた、
と書かれている。
  項目として、4巻15部から構成されている。
  第一巻  地租、海関税
  第二巻  諸税、雑税、収祖慣法
  第三巻  予算決算、米穀輸出
  第四巻  国債、準備金、貨幣、紙幣、銀行、鉱山、鉄道、電信機
となっている。本書は一部を除いて、明治維新から明治10年までの10年間の
財政事歴を編年的に編纂したものである。
  地租法は、明治4年12月に布告された。それによると、まず東京府下
武家地・市街地の区別を廃止し、土地所有を証明する地券を発行して地主に
付与し、地租に課税をすることとした。また、明治5年2月、土地の売買を
自由とした。その際、府県に対して地券を2通作成し、1通を元帳(土地台帳)
に付与し、1通に契印
(おしきりいん)を押して所有者に付与する、とした。
地券なしに密売した場合には土地は没収となり、併せて罰金を課せられる。
その他土地に関する詳細な事項が決められた。
  明治6年2月には、全国の士族に対してその居住地に”沽券”を発行した。
この時に、地所の名称区別を次のように定めた。
 1.皇宮地、禁宮、離宮、皇族の邸第の地
 2.神地、宗廟山陵、官国幣社府県社の地
 3.官庁地、官省使寮司府県の本庁支庁裁判所陸海二軍本営分営の地
 4.官用地
 5.官有地、公園山林、野沢湖沼
 6.公有地
 7.私有地
 8.除税地
  酒税は、明治4年7月”三醸規則”により行われることとなったが、8年2月
これを廃止し、新たに”酒類税則”を定め、更に9月に改訂した。清酒、味醂、
焼酒、白酒、銘酒の類の醸造者、承売者にかかわらず、全て免許鑑札による
営業の許可を必要とした。
  ”煙草税則”についても8年2月に定められ、9年1月1日付で施行された。
  ”商船規則”は、明治2年12月制定された。それによると、@西洋型蒸気船、
A風帆船、B日本製商船、に分類され夫々に課税された。明治4年8月に
”船税規則”が制定され、50石以上は艘毎に鑑札を付与し前記により課税
された。5年8月に”船税規則”を改訂し、無鑑札の船についての課税を通常の
6倍に改めた。6年1月に”港湾提警規則”を制定し、停泊税を課す事とした。
更に7年11月”国内廻漕規則”を制定し、”港湾提警規則”を廃止した。8年2月
停泊税の算定を変更した。船舶に付いては以上のように、めまぐるしく規則の
改正が行われた。
  明治8年2月”僕婢、馬車、人力車、駕輿、游船諸税規則”を廃止し、
”車税規則”を制定した。
  明治4年3月”郵便法”を制定し、郵便物について”郵便税”を課すこととし、
”郵便券票”(郵便切手)を郵便物に糊貼して納付する事とした。
  その他、”証券印紙税”、”銃猟税”、”牛馬売買免許税”、”度量衡税”、
”訴訟罫紙税”、”代言人免許料”、”会社税”、”版権免許料”、”売薬税”、
”生絲売買鑑札料”、”府県税”、”絞油税”などがあった。特に”府県税”の
内容は、およそ800種類ほどの名称があり、各県の事物の呼称、差異により
千差万別であった。
  雑税としては、”府県税”と同じように、およそ800種類ほどのものが記述
されている。
  一方、松方伯財政論策集は、氏が明治元年から明治25年の在官中に
行った財政上の上書、建言、意見書、演説等を、退官後集録整理したもの
である。
  項目として、10章から構成されている。
  第一章  貨紙幣に関する議
  第二章  国債に関する議
  第三章  準備金に関する議
  第四章  国税海関税地方税に関する議
  第五章  銀行に関する議
  第六章  備荒儲蓄に関する議
  第七章  歳計に関する議
  第八章  会計法規に関する議
  第九章  雑議
  第十章  演説
  附録(1) 章外雑款
  附録(2) 開国五十年間日本帝国財政
  ”通貨流出ヲ防止スルノ建議”では、日本の通貨流出量が極めて多い
ことを述べ、このままの流出量が続けば財政破綻をきたすので、流出の
原因と対策を建議している。最も大きな金額は、輸出と輸入のアンバランスに
あるとしている。明治維新後の明治7年6月までの新貨幣鋳造額は、6,632万円
であるが、明治2年の輸入超過額(貨幣流出額)は932万円、明治3年は
2,111万円、明治6年は937万円、明治7年は1,292万円である。このように、
上記の流出金額を単純に計算しても5,272万年となり、新貨幣鋳造額の
およそ80%に達する。この他にも、1,500万円余りの外債に対する180万円の
償却がある。氏は、対策の一つとして、輸入に頼らず国産品をより多く使う
ようにする方策を提案している。それは国内の農工商の三産業の充実を
はかることであると。
  ”銀行に関する議”を見てみよう。明治14年9月日本銀行を始めとする
国立銀行の設立について強く働きかけている。欧州の実例に基づき中央
銀行の設立には外国と対等に交易を行うには事のほか重要であることを
言及している。日本銀行の設立については次の項目を特に強調している。
 1.金融を簡易にすること
 2.国立銀行諸会社等の資力を拡張すること
 3.金利を低減すること
 4.中央銀行を設立し行務整頓の日に至っては大蔵省事務の中央銀行に
  託して弊害なきものは分かちて之に付すること
としている。
(池田)

明治文献資料刊行会・昭和37年1月)

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