本の紹介(No.34)

「女性史研究」
研究評論 歴史教育 第12巻第3号昭和12年6月

  この雑誌は、今から64年前の昭和12年に発行された教育書である。
本書では、古代から昭和12年までの各時代における女性の歴史について
記述している。ただし、記述された時代背景(社会、風俗、習慣、法律
などの取り扱いが基本的に男尊女卑であった)が、記述者から見ると、
現在の感覚と相当離れている部分があるのはやむを得ないであろう。
  女性史については、現在では「日本女性史」
(全5巻、東京大学出版会)
「日本女性史論集」(全10巻、吉川弘文館)、「角川選書 日本女性の歴史」
(全3巻、角川書店)、「日本女性史」(吉川弘文館)、「女性史研究入門」(三省堂)
「女性史としての近世」(板倉書房)など数多く出版されている。
  本書では、項目を大きく”総説”、”各説”、”教育”の3つに分類し、
”女性文化点描”及び”女性史と歴史教育”で結んでいる。
  まず、”総説”では、日本、中国
(本書では支那)、西洋における女性に
ついて、また、各時代における日本の女性について記述している。
特に、中国については、@古代支那人の女性観、A内助の女性、
B政治的の女性、C一代の運命を左右せしめた一女性、D賢としての
女性、E学問上の女性、F純情の女性、G従軍奮闘の女性、という
ように従来からの分類に基づいた分け方で、また、西洋については、
ローマ、ギリシャ、ゲルマン、イタリアルネッサンス及びフランス、イギリス
の女性史について記述している。
  ”各説”では、古代、中世、近世、近代における女性の役割、地位に
ついて、また”教育”では、学校教育を中心に記述している。
  ”総説”のなかで、法制史学者である瀧川政次郎は、”各時代に
於ける婦人の地位”を夫婦関係を中心に、日本婦人の社会的地位が
変遷したことについて記述している。特に、鎌倉時代には妻の地位は
非常に高かったが、室町時代に入り戦乱が続いたため婦人の地位は
著しく低下し、夫婦の関係にも封建的主従関係が移入されるようになった、
としている。江戸時代になっても妻の地位はより低い扱いを受けていた。
また、離婚については”家”中心の考えからか、家風に合わないという
ことが原因になる事が多かった。”舅姑”及び”小姑”等が嫁をいびり出す
権能を持っていたため、夫が出奔若しくは死亡した後は、夫に代わって
妻を離別する法律常の権利を有していた。”駆け込み寺”、”離縁状”に
ついては、「三くだり半 江戸の離婚と女性たち」
(高木 侃著、平凡社選書)
で詳しく説明している。
  民法学者である中川善之助は、”女性史としての婚姻史”について、
女性の地位を中心として記述している。
  中山太郎の”巫女の社会的役割”は、@巫女教としての原始神道、
A古代の国家統治と巫女の位置、B文学の母胎としての巫女の咒文、
C巫女の霊魂観の変遷と咒術の方法、D巫女の流せる害毒とその末路
という歴史の流れに沿った説明をしている。
  藤井治の”近世町人社会の女性”では、戦国時代あるいは武家社会の
女性と違った”庶民以下の生活”のなかでの女性について解説している。
武士と違って、与えられた俸禄の中での生活ではなく、自ら働いて収入を
得て生活する必要があった。この論文では、塩井ふく子女史の「日本女子
百傑」の序文、三浦浄心の「慶長見聞集」(巻の七)、井原西鶴の「織留」、
「久夢田記」、「娼家往来」(石川 謙、「日本近世教育史」より)、「寳暦
現来集」、ケンフェルの「江戸参府紀行」など、数多くの史料を引用して
町人社会の女性の姿について紹介している。
  維新史料編纂局・井上清の「近世農民社会の女性”では、”「家」の中に
閉じ込められつゝ「御年貢上納」の為に、まづ第一に田植草取は勿論、
あらゆる種類の農耕に「朝は朝星夜はまた夜星昼は野端で水を汲む”
(山家鳥蟲歌より)と終日従わなければならなかった。農民にとっては、家事は
勿論の事、畑作業の一員としても重要な労働力であった。また、服装に
ついても、庄屋名主を除く農民は仕事着以外は制限された衣服しか身に
つける事は許されなかった。この論文では、名宰相と言われた松平定信は、
白河領内の人口増加策の一環として越後地方の女性を強制的に白河
領内に移住させ、結婚させて人口増殖を図ったことが紹介されている。
ここでも、オールコック、ケンフェルなどの他、西川如見の「百姓嚢」、
佐藤信淵の「経済要録」、武陽穏士の「世事見聞録」、司法省が作成した
「全国民事慣例類集」、大蔵省が作成した「徳川理財会要」、全国の地方
史料、など、上記と同様、数多くの史料を引用して、農民の赤裸々な生活を
描き出している。
  東京帝大副手・横井保平の”切支丹と女性”では、@中世末期の女性と
基督教に与えられた救済の課題、A當代女性に対する基督教の救済的
意義、B貞操観念の向上、C結婚道徳の進化、D育児に対する道徳的
自覚、E禁教と女性、というように、近世における基督教と女性の関係に
ついて説明している。
  明治以降については、久保貞次郎の”明治以後に於ける女史教育の
発展”、小此木眞三郎の”自由民権と婦人”、で詳しく解説している。明治
新政府になると、政治、宗教、、教育、などが欧米の影響により大きく変化し、
女性に対しても”女子の専門、高等教育、職業教育”などが盛んに行われる
こととなった。小此木の論文の中で、”景山英子”について紹介している。
彼女は「妾の半生涯」(改造文庫)という自伝集を明治37年に出版した。
日本婦人の自由と独立の為に自由民権の怒涛中に身を投じた人である。
また、明治16年には、婦人の自由民権運動者として岸田俊子
(後に自由党副総理中島信行夫人)についても紹介している。
  最後に、”女性文化点描”で、マルチン・ルターの妻”カザリン・フォン・
ボラ”、ナポレオンの母”レチチヤ・ラモリノ”、などが紹介されている。
  東京女子高等師範学校教授・文学博士・内藤智秀は”女子と歴史教育”
のなかで、次のように述べている。(原文のまま、ただし漢字は新漢字)

  ”此所に一つの史実があったと仮定する。其の歴史的事実は既に一回
  起った事であって静的なので、後世の史家が之を考証しようとしまいと
  そんな事に関係なく立派に静的な存在なのである。然しその静的な史的
  事実の存在は之を観察し考察する場合は観る人の如何によって如何様
  にも変り得る。即ち史観の如何により又観点の如何によっては無限に
  多様性を有するのである。……”

  歴史上起った事に対する、ものの観方、考え方について、どこの国でも、
いつの時代でも紛争の種になるのは避けられないのであろうか。(池田)

(昭和12年、歴史教育研究会)

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