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本の紹介(No.35)
「太陽」
(明治28年4月号〜6月号)
本雑誌は、今から106年前に創刊されたもので、一般大衆向けに発行された。
昭和3年2月号をもって廃刊となっている。ここでは、第1巻第4号から第6号までを
紹介する。
タイトルは、「The Sun 太陽」となっている。表紙は、太陽が雲の間から地球を
照らしている図である。勿論石版刷である。表紙の下3分の1には、図、肖像などの
タイトルが紹介されている。表紙を捲った所に”目次”があり、記事の詳細が分かる
ようになっている。残念ながら何頁にあるか、頁数が記載していない。
第4号の総頁数は200頁で、内容は歴史、地理、小説、家庭、文学、宗教、科学、
美術、商工業、農業、政治、軍事、社会、海外など極めて多岐にわたっている。
なにしろ1冊の雑誌で全ての分野をカバーしようとしているため、記事が多少中途
半端になる部分が見受けられるのは止むを得ないことであろう。しかし、多くの記事は
中途半端ではなく、びっしり書かれている。記事が面白いのは当然であるが、当時の
時代を反映している”広告”がとても面白い。現在も営業している会社もあれば、既に
名前さえ知られていないものもある。また、広告の商品・内容も現在とは異なった
”ユニーク”なものもあり、興味がある方にとっては種が尽きないであろう。
目次の次の頁には、陸軍大将山縣有朋伯爵と陸軍大将野津道貫子爵の写真が
載り、次の頁は、独逸皇帝ウィルヘルム二世とベルリン宮城の写真が載っている。
次の24頁に渡る広告は後で纏めて紹介することとし、記事の内容を少し紹介する。
”史傳”では、”維新の元勲”(福地源一郎筆)を載せている。元勲(三条実美、
岩倉具視、西郷隆盛、木戸孝允、大久保利通)5名についての功績を称え、各人の
写真を紹介している。
”地理”では、”東京花暦(4月)”(胡蝶筆)で”墨田の花”を載せている。領国界隈、
向島、墨田川などの旅情については
「幕末外史 すみだ」
(発行・東京都墨田区役所)
に
詳しく載っている。胡蝶は、伊勢物語に歌われた歌を紹介した後、江戸時代の歌も
併せて紹介している。また、胡蝶自身が墨田川に浮かべる船の上から言問いの渡し
付近での桜の花を見たことを、旅情たっぷりに描いている。現在とは違って、土で
盛った墨田の堤があって、そこに桜並木が続いていたと言う時代の話である。墨田の
堤に桜の花を植えたのは、享保の頃が始めだそうで、その後何回か植え替えをして
いる。明治9年に成島柳北が当時の朝野新聞に『墨堤栽櫻ノ報告』をしている。柳北に
ついては、上記の「幕末外史 すみだ」、永井荷風の日記(断腸亭日乗)にも紹介
されている。
”小説”では、明治22年に文壇にデビューして間もない、28歳になった幸田露伴が、
『新学士』を載せている。この時代の露伴は、いわゆる”第一流作家”として、この雑誌に
投稿している。
”科学”では、『魚形飛行機』、『鳥翼的飛翔機』は、ライト兄弟が動力飛行機の操縦に
成功する8年前のものが紹介されている。。スミソニアン学会教授ラングレー考案の
『魚形飛行機』の説明によると、燃料はガソリンを熱してガス状にしプロペラを回転させる、
としている。飛行機に煙突が2本あり、煙が出ている。飛行機の形は、現在飛んでいる
ものとほとんど変わらない。
ドイツ人が考案した『鳥翼的飛翔機』は、動力で飛ばすので
はなく、人間が高いところから勢いをつけて飛び降りる方式で、いわゆる『ハング
グライダー』である。その昔、レオナルド・ダ・ヴィンチが考案した飛行機とあまり変わる
ところはない。
”広告”について、一言。煙草が絵入りで載っている。『カメオ』、『ピンヘット』、『スター』
全て輸入品と思われる。また、書籍の広告が多く見受けられる。医療機・時計・眼鏡
販売店『玉屋商店』は、石版刷の銀座本店及び日本橋本町支店の建物の写真を掲載
している。西洋風を取り入れた明治時代の代表的なデザインの建築物である。また、
ロンドンの繁華街の馬車の写真があるが、コナン・ドイルの『シャーロックホームズ』に
出てくる情景を思わせる。
第5号は、前号と同じように総頁数は200頁となっている。目次の次の頁にある写真は、
皇族方のものである。京都大博覧会が明治28年4月1日から開催されるので、その全景
写真が載っている。この博覧会については雑誌「風俗画報」(明治28年6月18日号)にも
”京都大博覧会”を特集しており、石版刷の写真を紹介している。
”地理”では、『汽車旅行』(大和田建樹筆、鉄道唱歌作詞者)が、”博覧会見物”(上)を
載せている。午前11時45分の新橋発の列車で西へ向かう。午後8時に浜松駅に到着し、
ここで1泊。翌日朝6時、浜松駅発の列車で京都に向かう。京都到着は予定では午後2時
50分。博覧会開催の関係で、途中の混雑により2時間遅れて京都駅に到着した。
京都へは博覧会見物の観光客が殺到しているため、旅館はどこも満員の様子。博覧会
会場は南禅寺の近く、京都岡崎である。現在の平安神宮があるところ。
工業館 4,250坪 農林館 1,440坪
機械館 900坪 水産館 540坪
美術館 420坪 式 場 360坪
事務局審査所
521坪 会場敷地およそ50,200坪
工業館は、1道3府43県から生産物を出品させており、その数109,700点にのぼって
いる。博覧会に併せて、各寺院は多くの行事を行っている。執筆者は1週間を越えて
逗留したが、寺院が開催している行事をすべて見る事が出来なかったとしている。
”雑録”では、『俳諧小風呂敷』(十千萬堂 紅葉筆)に、俳句と共に風流な絵が添え
られている。
”小説”では、『ゆく雲』(一葉女史筆)がある。一葉は翌年の明治29年に亡くなって
いる。
”商業”では、『清国外国貿易国別』
(自明治24年至明治27年)
が一覧表形式で掲載されて
いる。この表を見ると、日本の貿易額は、貿易総額の7%程になる。日清戦争が
終わろうとしており、戦勝による領地の占領が行われ、通商規則が定められる。ここでは
大躍進を目論んでいる事が伺える。
第6号は、前号と全く同じ200頁。
”講演”では、『身を以て社会に処する事に就ての意見。国を以て外国に処する事に
就ての意見』(伯爵板垣退助筆)が載っている。板垣退助は、自由民権運動家として
名講演を行うことで世間に名を知られていた。しかし、ここに掲載された講演は、
明治24年(1891年)立憲自由党総裁になった後の板垣退助ではあるが、政治家として
最盛期のものではない。彼は、”人を尊び人を信ずること”を説き、”人が老いれば必ず
優柔不断になって決断が出来なくなる”と言っている。そして、”競争は進歩の母である、
競争は社会の防腐剤である”ことを信じている。今からおよそ105年前に言った言葉で
ある。
”地理”では、『仏都巴里』(長田秋濤筆)のなかに、”コーヒー店”の話が載っている。
この時代のパリの街にはコーヒー店が溢れる程、多くあった事を伝えている。ちなみに
日本にコーヒー店(カフェー、喫茶店)が初めて出来たのは、明治24年東京府下に出来た
”可否亭”といわれている。
(明治24年3月28日「女学雑誌」)
『東京風景四季』として、滝野川、
芝浦、龍眼寺、上野公園を写真で紹介している。芝浦は、潮干狩りをしている風景だ。
”家庭”では、『季節料理』(くりや女筆)で3種類のご飯を紹介している。”鰹飯”、
”紫蘇飯”、”豆腐飯”。どれもあまり馴染みのない食べ方である。また、煮物では、
”ぎせい豆腐”を紹介している。昭和初期に出版された「食物辞典」(澤村 眞著)にも
”五目ぎせい豆腐”が紹介されている。最後に漬物では、”捨小船
(すておぶね)
”
(白瓜を使う漬物)、”初夢漬”(花落茄子を使う漬物)が紹介されている。この二つは
ほとんど知られていないのではなかろうか。
”工業”では、『空中鋼線汽車』と『新発明の風船』の2件が紹介されている。前者は
空中ケーブルカーである。北アメリカのテネシー州ノクスヴィルで架設中とのことである。
動力は写真後方の建物から煙が出ているので蒸気であろう。”汽車”という名称が
つけられているのが、面白い。当初から観光用として開発したようだ。後者の”風船”は、
後に出現する”飛行船”そのものである。ここの説明では、”空船”という言葉を使って
いる。この風船は、特許を取得しているという。250種以上の専売権の申込みが殺到して
いる。後に出現した”飛行船”は、ここでの特許使用権を取得したのであろうか。
”広告”で面白いものをいくつか紹介する。『大博士』
(松本伊兵衛製造)
とは、歯磨粉の
商標名である。なんともユニークな名前。これも同業で『歯磨大王ダイヤモンド』
(平尾賛平製造)
以上で、本雑誌の紹介を終了する。現在出版されている雑誌「太陽」は、当時のものと
全く違ったものである。当時は、総合雑誌として中心的存在であった「太陽」が、多くの
階層の人々に購読されていたことは、執筆者の顔触れから想像できよう。テレビ、ラジオが
ない時代、新聞・雑誌が唯一の情報源であったことから、内容的に充実しているのは当然
かもしれない。(池田)
(明治28年1月創刊、博文館)
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