本の紹介(No.38)

「全国民事慣例類集」(司法省)

  本書を、「明治文化全集法律篇」による風早八十二氏の”解題”から、以下に
紹介させて頂くこととする。
  本書は、明治10年5月に刊行された「民事慣例類集」及び明治13年7月に
刊行された「全国民事慣例類集」の2冊の重複した部分を編集し纏めたもので
ある。この史料を集めるにあたって司法省は、”委員を各地方に派遣し民間
慣行の成例に渉るものを採録せしめて之を類集”したものである。なお、この
史料の中には、幕末の旧慣例を併記したものや、権利義務に関係ない単なる
”土俗”(土地の風俗)のようなものも含まれている。原本2冊を1冊に編集する際、
項目が片一方にしかない場合は、その旨を明記している。
  本書は、後に成立する”民法典”(現在から見た場合は”旧民法”)を編纂する
ための資料として”類集”を編纂した、としているが、実際の”民法典”と比較して
みると、本書のどの慣例がどの条文になったか、極めて不明確といえる。ただ、
”民法典”を立案する段階で、本書を参考にしたことについては触れているので、
全く無視しているわけではないようだ。
  本書には、封建制から資本主義制へ移行する段階として、多くの見るべき
項目がある。
  第一 資本主義的自由―其の一、公法的自由
    類集においては、明治維新により徳川時代の身分的法律関係が撤廃
   されていたはずのものが、相当に残されている。
    (1) 居住及び移転の自由
      本来、明治2年1月の布告により、”諸道の関門撤廃されて国内交通の
     自由”が確保され、”廃藩置県により住所に対する藩の拘束を廃する”
     ことになっていたのである。しかし、商業及び農業については、届出制など
     移転の制限が行われていた。特に、農業は生産性を確保する上で必要で
     あったようだ。
    (2) 信教の自由
      慶長16年切支丹を禁制にしてから明治維新になったが、その後も
     禁制の状態が続いた。明治6年6月になって各地に掲示する禁制榜札
     
(たてふだ)を撤去し、信仰の自由を黙認し、仏教帰依の強制を解き、
     寺院及び僧侶の特権を奪った。そして、明治17年10月、太政官布告
     により、埋葬規則を制定し、法律上埋葬と宗教との関係を絶った。
  第二 資本主義的自由―其の二、私法的自由
    (1) 婚姻契約の自由
      封建社会における婚姻の自由には三つある。
      @ 他の身分のものとの婚姻の自由
      A 支配違いのものとの婚姻の自由
      B 婚姻当事者の意思の自由
      類集では、下級氏族と農民との婚姻が行われている地方がある。
     また、農民と商人の婚姻については、幼少時からその家に入り込んで、
     長い期間生活を共にしている場合に行われていた。他領地の婚姻は、
     交通機関の発達で、領地間の関係が深くなった場合に行われた。武士を
     除く一般市民の婚姻は、ほとんど当事者の意思が合意することにより
     行われた。
      徳川時代は、戸主若しくは父母若しくは夫のみ専断的な離婚請求権を
     持っていたが、明治6年5月太政官布告により、法律的に妻に離婚
     請求権が認められた。ただし、庶民の慣行としては、従来から妻に離婚
     請求が事実上行われていた。
    (2) 財産的契約
      封建制度にあっては、法律関係は生まれながらの身分によって
     決定され、自由に他の職業に入り込む契約はでず、組合の規約が
     あって、その規約に従って行動しなければならない。特に不動産の
     売買は、”五人組制度”があって、ここで承認されなければ売買は成立
     しない仕組みになっている。
      しかし、財産的契約においては、武家階級の法と庶民階級の法は
     異なっていた。武家階級の労働契約は、特殊的な身分関係に帰属
     するものであり、庶民階級の労務提供を内容とする有償契約である
     労働契約と大きく異なっていた。
  第三 個人中心主義
      封建制度が明治新政府での個人中心主義への流れに変更された
     としても、従来からの”家中心主義”の根本思想は大きく変わらなかった。
     また、”家”を守るために、”罪科隠居”というせいどがあった。これは、
     村の平和を乱す者は、戸主といえども隠居させる、という慣例であった。
  第四 所有権
      徳川時代の部落の入合地の所有権関係は”総有”という概念である。
     本書によると、この考え方は明治維新後にも続けられ、共有の性質を
     もつ入会権については、現在の民法でも引継がれている。
  以上で全般的な説明を終了し、次に個々の項目のうち目に付いて物を紹介
する。
第一篇 人事
 1.出産の事
   子供を出産した場合は、多くは、役所へ届け出る事となるが、地方によっては、
  菩提寺、町内年寄、組頭などに届出るだけで済ます所もある。正式な手続きを
  経ないで生まれた子供(婚姻前に生まれた子供等)、正妻以外の女性から
  生まれた子供、などについては、地方によって通常とは別の手続きを必要と
  した。
 2.婚姻の事
   婚姻は、ほとんどの地方で届出(役所、宗門若しくは庄屋)による入籍で成立
  した。一部の地方で子供が生まれたときに同時に届け出る、としている。また、
  結納については、多くの地方で婚姻の内諾としている。基本的には、本人の
  承諾を必要としていたが、親同士、親戚同士などにより決められている場合も
  多くあったようだ。
   新婦が家財道具など持参するものについては、富家は箪笥長持等のほか
  不動産、金銭などを持っていったが、普通の家では衣類等生活必需品程度の
  ものを持参することですませていた。
   媒介人(仲人)は、通常は双方に一人づつ立てることが多く見られた。
   離縁(現在で言う”離婚”)の場合は、離縁状を媒酌人と通して役所又は宗門へ
  届出ることとした地方がほとんどであった。離縁による子女の養育は、地方に
  よって異なっていた。@夫が子女全員の養育をする、A男子は夫、女子は妻、の
  2ケースである。
 3.死去の事
   死者が出たときは、ほとんどの地方で役所又は宗門へ届出ることを常とした。
  また、3日間又は7日間の休業をすることとした。
 4.失踪の事
   特に戸主の失踪については、役所又は宗門への届出を必要とした。失踪した
  日から何日以内に届出るかについては地方により異なっている。また、失踪
  期間が長期になれば”除籍”される。短い所では30日、長い所では180日と
  なっている。
   除籍後の残留財産は、相続されるべき人(妻及び子女)に引き継がれた。
  引き継ぐ者がない場合は、親類へ引き継がれた。負債があれば清算され残余
  財産が引き継がれた。引き継ぐべき者がない場合は、組合の所有物として処分
  した。除籍後、失踪者本人が復籍を求めた場合は、ほとんどの地方では認めて
  いる。但し、労役を処罰としている地方が多く見られた。
 5.住所の事
   維新政府は、基本的には住居の移転は自由としたが、商業の場合は組合の
  許可を必要とすることがあった。また、農業についても、生産性の問題から、
  農業を引き継ぐもの(相続人)を立てることを条件にする地方もあった。
 6.親族の事
   本家の間柄及び戸主の従兄弟以内の親族について、相互扶助を義務付けて
  いた。
 7.養子の事
   養子の手続きは、婚姻と同じ方法により行うことを常とした。
 8.後見の事
   15歳未満のものを”幼年”と称した。幼年者が行為
(戸主の行為、商取引、など)
  する場合は、必ず後見人を付ける事とした。
 9.組合の事
   旧幕府時代は、不動産売買などを行う場合は必ず”五人組”の承諾を必要と
  したが、維新後は、”向3軒両隣”を組合としたり、”家並み”を組合として、
  不動産売買などを行う場合は、証書に連印することを慣例とした。
第二篇 財産
 1.財産所有の事
   田畑山林は村役場の検地帳水帳により一村の総高を記し、名寄帳高帳に
  より高反別字並びに持主の名を記して所有権を定め、市街免税地は町役場に
  絵図帳或いは間数帳があって間口奥行きの坪数並びに持主の名を記して
  所有権を定めることは一般的に行われている。
 2.家督相続の事
   家督相続をするときは、役所又は宗門へ必ず届出ることとした。相続の
  順位は、原則として長男とした。長男以外のものが相続する場合は、戸主が
  届出ることとしている。子供を分家する場合は、役所へ届出ることを常とした。
 3.土地に属する義務
   土地の狭い日本では、山の位置、川の形勢等の違いから、地方により慣例が
  異なっている。ただし、宅地の垣根、田畑のあぜ道などは、東南を受持ちとして
  順送りに修繕をするのを例とした。また、家屋を建てる時には、境界から一尺
  五寸離し、土蔵は三尺離して礎石を置き、雨垂は隣の土地に落さないように
  するのを一般的な例とした。
   家を新築するときは、役所へ届出るようになっている地方が多く見受けられる。
   農道の幅については、多くの地方で三尺あるいはそれ以上とすることにして
  いる。
   灌漑用水、飲料水などは、多くの人が使用するため、公費による設置、役所の
  管理とした。その他、下水、池沼、草刈場、材木、寄附地、河川などについて
  地方による取扱の違いについて書かれている。
第三篇 契約
 1.契約の諸事
   身代分散(自己破産)をするものは、原則として財産を全て破棄し、売買等
  処分の上、義務を果たすこととする。
 2.義務の証
   土地家屋の、質入、売買譲渡の契約証書には、親類組合連印して役所の
  公印を受け公証とした。紛争があった場合には公証によって判定された。
 3.売買の事
   ここでは、不動産売買、動産売買、売買の義務、売買破棄、買戻、糶
(ちょう)
  売入札払、について書かれている。売買については、旧幕府時代から既に
  慣例として行われていた方法が、多く取り入れられており、旧民法、現行民法
  にも受け継がれている部分が多い。
 4.貸借の事
   ここでは特に、人力貸借(小作人)について、各地の慣習を取り上げている。
  多くの地方ではほとんどが口頭契約に基づいていたようだ。旧民法、現行民法
  においても小作についての規定が定められている。
 5.附託の事
 6.書入れ質入の事
 契約の項目については、封建制度による特別な取扱を除いて、旧民法、現行
民法に
相当部分取り入れられており、ここでは説明を省略させて頂く事にする。
 以上、項目を並べただけに留めたが、厳しい封建制度の中で、ある部分では
合理的な、また、ある部分ではその地方独特の慣習が、永い期間を通じて法律の
ように守られていた。日本独自の慣習も見受けられるが、諸外国の民法等と比較
しても決して見劣りのしない慣習も幾つか見られた。現在の生活にマッチした法律を
考える上で、昔のものの考え方が参考になると思う。(池田)

(司法省、明治13年、「明治文化全集」
(昭和4年版)より)

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