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特別閲覧室(No.7)
「
警視庁史」
(昭和前編)
この本は、80年の伝統と歴史を持つ警視庁に編さんされた記録が無い
ことから、昭和31年に”警視庁史編纂委員会”を発足させ、昭和32年から
資料収集、執筆を行い、昭和37年完成したものである。全体の構成は、
明治編、大正編、昭和前編、昭和後編に分かれている。
ここでは、昭和前編について取り上げることとする。この前編だけでも
歴代警視総監の経歴、目次、索引を除いて1075頁に及ぶ大著になっている。
次に目次を紹介しよう。
第一節 総説
第二節 組織、機構等の変遷
第三節 警戒警備
第四節 警備事件
第五節 刑事警察の概況と活動
第六節 交通、保安、防犯および衛生の指導と取締
第七節 戦時体制下の警察活動
第八節 終戦と警視庁
付 録
本書を見ていくと、戦前の警察の思考の方向と実際の活動状況が非常に
よく分かってくる。ただし、ここで書かれているものは、全て公式のものであって
推測、推定などに基づくものは
一切含まれていない。従って、一般的に知られて
いる事柄と本書と異なる部分が一部に見られるが、止むを得ないことであろう。
総説
では、”昭和”の元号の由来、国内情勢、満州事変・日華事変の状況、
第二次世界大戦の状況、などの概況を解説した後、警視庁の活動を簡単に紹介
している。昭和初期に”説教強盗”及び”凶悪殺人事件”が頻発し、市民を極度の
不安に陥れ、警視庁はかつてない窮地に立たされたが、不眠不休の活動の末、
一連の事件を解決した。左翼運動の取締り、一部軍隊と極右主義者による各種
事件(血盟団事件、五・一五事件、天行会事件、神兵隊事件、二・二六事件)など
が次から次へと起こった。また、民間では”玉の井のバラバラ事件”、”人間コマ切り
事件”、”本郷日大生殺し事件”、”浅草の校長毒殺事件”、”阿部定事件”など世人を
驚倒させた珍しい事件が数多く発生した。昭和16年太平洋戦争が勃発してからは、
海外からの輸入が全く途絶えたため、国内物資は極度に逼迫し、統制経済の指導と
取締りが益々厳しくなっていった。更に、東京の治安を維持しなければならない警視庁
としては、警防団の組織と運用により空襲に備えていたが、実際に起こった度重なる
空襲の前には全く無力であった。空襲による殉職者は、警察消防職員だけではなく
警防団員も多く含まれている。
組織、機構等の変遷
では、思想運動激化に伴う警察事象に対処するため、
昭和7年6月28日、”特別高等警察部”を新たに設置した。更に、統制経済狂歌に伴う
指導取締りの徹底を期するため、経済警察部を新設した。本部としては、@総監
官房、A警務部、B保安部、C勤労部
(昭和20年12月22日廃止)
、D経済警察部
(昭和20年
12月22日廃止)
、E衛生部
(昭和17年11月1日東京府へ移管)
、F特別高等警察部
(昭和20年10月
12日廃止)
、G刑事部、H消防部、となっている。本書では、各警察署の所在地と管轄
地域を一覧表で示している。昭和19年4月12日警視庁を含む全国の警察に警備隊が
設置されることになった。警視庁は、地域を六つの大隊に区分された。なお、警備隊は
GHQの命令により、昭和21年2月16日廃止された。本書では、”特別高等警察部”の
GHQの命令による廃止について、1頁をさいて、この部署で行ってきたこれまでの
任務が、一部行き過ぎを認めたものの、部署そのものは不当なものでなかった、ことを
説明している。東京警視庁の新庁舎は昭和6年5月29日に完成した。完成までの
経緯で、当初の設計では、正面玄関屋上に、高さ30Mの塔を造る事になっていたが、
皇居内が見える、国会議事堂・海軍省などの建物の高さの調和がとれない、などの
理由により、10M切断することになった。警察・消防の服装が絵入で説明している。
警戒警備
では、昭和2年2月7日大正天皇の大葬儀が行われた。この葬儀には、
警視庁の9000余名の警察官が直接、警衛と警戒に当たることになった。霊轜
(れいじゅ)
の
通路が昭和2年1月24日、宮城正門→凱旋道路→虎ノ門→溜池→赤坂見附→青山通り
→権田原→慶応大学→新宿御苑正門、と発表された。また、昭和3年11月10日、
昭和天皇の昭和大礼式が行われた。昭和6年10月20日、昭和天皇は警視庁新庁舎に
行幸された。昭和10年4月6日満州国皇帝が日本に来訪した。昭和戦前期には、
東郷平八郎、西園寺公望、山本五十六の3人の国葬が行われている。
警備事件
では、大きく@左翼関係、A右翼関係、B労働争議その他、の3つに
分類している。
@
は、日本共産党に対する各種運動、事件に対する取締りである。
この項目で最もよく知られている事件は、”ゾルゲ事件”である。駐日ドイツ大使館顧問
リヒャルト・ゾルゲ、評論家・満鉄嘱託尾崎秀実のスパイ事件である。本書では、組織員の
顔触れ、彼らが収集した主要情報要旨、などが一覧表で表示されている。この事件で
逮捕されたものは全部で18名、うちゾルゲと尾崎の2名が死刑、獄死1名、公判中
死亡2名、無罪1名、その他は全員懲役刑となった。
A
は、国家主義の台頭により、
結成された団体のうち東京都内の団体は172団体、加盟者数3万4千余にのぼった。
このような中で、軍部との提携又は単独で、54件の集団暴力事件、テロ事件が横行し、
恐怖時代を形成していった。田中首相暗殺未遂事件、山本代議士暗殺事件、浜口首相
狙撃事件、血盟団事件、斎藤首相暗殺予備事件、独立青年者および天行会事件、
神兵隊事件、などがあるが、五・一五事件及び二・二六事件が最も大きな事件である。
事件の陰には、陸軍部内の”皇道派”と”統制派”という派閥による対立が大きく関係して
いた。特に二・二六事件が契機となって軍部の独走に拍車をかけ、戦争への道を進む
こととなった。
B
は、東京市電関係、東洋モスリン、宗教団体関係、について説明して
いる。
刑事警察の概況と活動
では、陪審法の施行について解説している。現在でも
この時期に実施された陪審法をどのように復活させるか、議論しているところである。
凶悪犯罪といえるかどうか難しいが、本書では、大正15年から昭和4年までの間に
発生した、”説教強盗”がある。この事件は、同一手口で金品を強奪し、婦女に暴行を
加えるなどして、64件に及んでいる。犯人は検挙され、昭和5年12月東京地方裁判所で
無期懲役の判決を受けたが、秋田刑務所で服役中、模範囚として表彰され、昭和23年
仮釈放された。本書では、”阿部定事件”、その他凄惨な事件が数多く紹介されているが、
ここでは省略する。凶悪事件以外に、暴力及び窃盗事件、知能犯による事件も紹介
されているが、省略する。
戦時体制下の警察活動
では、国家総動員体制、統制経済の強化と指導取締、
労働統制の強化と取締、戦時特別措置関係、防空体制の強化、などが主な項目である。
本書は、今から45年前に80年を迎えたということは、現在125年を迎えることになる。
世界の主要都市にある警察機構のうち、科学技術と機動力と信頼性に最も力を入れて
いるのが、警視庁ではないかと思われる。凶悪犯罪が多くの都市で発生しているが、
東京はそのなかで最も少ないのではなかろうか。最近、警察への信頼性が問われて
いるが、各種犯罪に対しては相当力をいれて頑張っていると感じている。犯罪の防止が
どこまで出来るかは、警察の問題というより社会全体の問題として考えなければならない
であろう。(池田)
(警視庁史編さん委員会、昭和37年)
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