「史劇に学ぶ」                    白川零次著

第一回 孫子の兵法が解くところ


中国二千数百年の歴史に接しつつ、私たち日本人は数々の名言、金言を
輸入してきた。ところが、その中には輸入された後、中国における本来の
意味からかけ離れて、日本流の解釈がなされているものがある。しかも
本来の意味のほうがはるかに深く、示唆に富む場合が多いのである。
兵法の古典と言われ、紀元前五百年頃、孫武によって書かれたといわれる
『孫子』の十三条七十九節から成る名言についても、そのような日本流の
浅薄な解釈が数箇所ある。今回はその中から三つの代表事例を取り上げて、
孫子の真義を追求しながら、それが現代世相にいかなる警報を鳴らして
いるか考察してみたい。
まずは『呉越同船』。不倶戴天の仇敵同士が同じ船に乗り合わせること。
例えばライバル会社の社長同士が最大のお得意様のビルでばったり鉢合わせ
する光景を思い浮かべる人がほとんどであろう。一応間違いではない。
しかし、孫子はこの言葉にもっと深い意味を与えているのである.戦国時代、
呉と越は国を挙げて、国人の一人ひとりに至るまで、仇同士として憎み
あっていた。だが、その呉人と越人がたまたま同じ舟に乗りあわせ、暴風雨に
遭って危険が迫れば、どんなに憎みあっていても、お互い左右の手となって
一致協力するはずだ。またそのように全員一致協力させるためには強力な
政治指導が必要であると孫子は説いているのである。自公民だ、いや
自自公だと党利党略に奔っているどこかの国の政治家に聞かせてやりたい
ものである。経済的にも、外交的にも、環境問題上も、我が国は今、氷山衝突
寸前のタイタニック船上にあるのではないか。孫子が指摘する強力な政治
指導力が望まれる昨今である。
『彼を知り己を知らば百戦殆(あや)うからず』は恐らく孫子の中で最も有名な
金言の一つだろう。講釈を要しないほど簡潔明瞭なことばであるが、ここでは、
後世の孫子研究家が指摘した示唆に富むコメントを紹介しよう。「彼を知る」
ことはそれほど難しいことではない。問題は「己を知る」ことである。「己を知る」
妨げになる要因が三つある。自己過信、自己満足、自己弁解、の三大悪心が
それである。この金言が最も的を射た史実の事例は、かの太平洋戦争の悲劇
であろう。昭和の初期、”エコノミスト”などの経済誌は一般書店で容易に入手
できた。そこには日本VS米国の工業生産力がおよそ一対七十八と明記して
あった。即ち誰もが「彼」=米国の総合力を知り得たのである。いわんや軍部や
政治化においておや、である。にもかかわらず、真珠湾を攻撃した。日清、日露の
形の上での連勝という自己過信、泥沼化した日中戦争、それでも何とかなるだろう
という自己満足、幾多の英霊のためには引くに引けぬという自己弁解…。まさに
孫子の兵法の反面教師を演じたと言わざるを得ない。現代においては「彼を知る
こと」、つまり市場動向や技術革新についての情報は、コンピュータやインターネット
の発達によって、ますます迅速かつ精密に入手することができる。しかし、いかに
デジタル化しても、己を知るための機械化はできない。自らの勇気と英知でもって
自己分析する以外にない。彼を知れば知るほど、自己分析もそれだけ広く深く
穿つ必要があろう。

(以下、次回に続く)
この原稿は、大坂ガス(株)が発行する「millennium」(第1号)に発表されたものを
再掲示させて頂いたものです。


  白川零次PROFILE

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1936年韓国ソウル生まれ。東京大学法学部
卒業後、三井金属鉱業株式会社入社。ロンドン
事務所長、福岡支店長、営業部長等を歴任。
1996年から執筆、講演活動に入る。著書に
『ビジネスマン読本 司馬遼太郎』『同 松本清張』
『同 城山三郎』『泥舟の宴』等多数。