「史劇に学ぶ」 白川零次著
第七回 門前市と門前雀羅
(前回からの続き)
汲黯(きゅうあん)と鄭当時(ていとうじ)は共に漢の武帝につかえ、一時は
九卿という高位まで達した。この2人は任侠で客を愛した。ことに鄭(てい)
はつねづね、門下のものをいましめて、
「客が来た時は、その貴踐を問わず、門口で待たしてはならぬ。つねに
賓主の礼をとって手厚くもてなさねばならない」
と言い、自分が高い位にあっても、人にへりくだって応じたという。
だが2人とも官位に浮沈があった。汲(きゅうは諫言で、しばしば武帝に
うとまれ、地方にとばされたり、免官されることもあった。鄭も世話したものに
連座して、庶民の位におとされ、最後は地方の一吏員でおわった。
高官に任ぜられた時、2人の門前は賓客であふれたが、2人とも元々は
貧しい家柄であったので、左遷されたり免官されると、賓客達はみるみる
離散してしまったという。この2人の伝記の最後を、司馬遷は既述の漢詩、
「一死一生……」でしめくくった。
この司馬遷のなげきは、劉向(りゅうきょう)の撰による「漢書」の中でも
「鄭当時(ていとうじ)伝覧」として再現され、人の世の浮き沈みと人情の打算性を
訴えている。
ともあれ、司馬遷や劉向の嘆息は2千年を経た今日でも、そう変わる
ものではないらしい。一貧一富、たしかに交態を知るのである。数十年間、
サラリーマンをやれば、誰しもその交態を知ることになろう。エスカレーターが
順調に動いている時は、まだ気がつかない。歯車が少し狂い出すと、周りの
客がとたんにまばらになる。きわめて卑俗な例をとり上げれば、中元歳暮の
数が激減する。だからサラリーマンは大型の安定したエスカレーターに
しがみつくのだろう。
「われわれは友人がいなくとも生きていける。けれども隣人なしには
生きていけない」。
トーマス・フラーの名言である。
友人−とくに親友はなかなか得難いものだ。だが、仲間、とくに会社仲間が
いないサラリーマンはまず存在しないだろう。仲間が親友であれば、最高の幸せ
だろうが、すべてが親友ということはあり得ない。
サラリーマンにとって遠い友人よりも、身近な仲間の方がはるかに重要な
存在なのだ。友情というものがあるのならば、”仲間情”が存在してもおかしくは
あるまい。ただしそれは友情とは、かなり趣(おもむき)を異にするだろう。
まずいやな奴は友人にしなければ、それですむが仕事仲間にはいやな奴も
まじらざるを得ない。第二に仲間は時と場合によって、すぐ離散する。あるいは
敵になることさえあり得る。友情には「友情より気高い人生の快楽はない」という
最大の賛辞があるが、仲間情については、ラ・ロシュフコーが指摘する「一種の
交際、利害に関する相互の斟酌(しんしゃく)、斡旋の交換、つまりは自愛心が
常に儲け仕事をたくらんでいる取引」なのである。
洋の東西を問わず、人の交態は、”門前市”と”門前雀羅”の繰り返しに
共通しているようだ。
門前市を成すお仲間の中にいかほどの友人がいるだろうか。門前雀羅の
侘住居(わびずまい)に、門前市を成したころからの訪れを淡々と続ける友こそ、
親友というべきであろう。
「門前市と門前雀羅(じゃくら)」は今回でおわりです。次回は「恒産なき者、恒心なし」
をお送りします)
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