「史劇に学ぶ」                     白川零次著

第八回 恒産なき者、恒心なし

  中国は戦国時代、秦・楚などの七大国が、覇権争いに明け暮れて
いた。その間に挟まれた小国は常に不安を抱きながら、悲惨な歴史を
辿ることになる。
  一方、思想界は諸子百家と呼ばれ、数多くの思想家達が自分の
思想を引っさげて、王侯の説諭に各国を奔走していた。
  これは、儒家の亜聖と呼ばれる孟子(もうし)が、七大国の一つである
(ぎ)の恵(けい)王に謁見した時の話である。領土拡大にばかり熱心な
恵王に対して、孟子はまずこう切りこんだ。 「人を殺すのに、棍棒で
なぐるのと、刀で切るのに違いがありましょうか」
 「では刀で殺すのと政治で殺すのとでは?」
 「それも同じことじゃ」
  恵王は孟子の話術にはまって行く。
 「その理屈がおわかりなら、いたずらに領土拡大を狙うのではなく、
まず内政を正すことです。
  農繁期に農民を戦
(いくさ)など、徴用にかり出さなければ、食糧に
事欠かなくなります。乱獲を禁ずれば、魚に不自由しない。乱伐を
禁止すれば木材は豊かになります。食糧や魚や木材が豊かになれば、
人民は生活に不安がなくなり、不平不満を抱きません。
  生活が安定すれば、人民は安定した気持ちになります。一方、
不安定な生活では良心を失います。(恒産なき者、恒心なし)。
そうなれば、したい放題、当然、罪も犯すでしょう。罪を犯させておいて、
捕えて罰するのでは人民を捕り網にかけるようなものです。
  だからまず人民に”恒産”を与えること、その上で教育を重視し、
公徳心をうえつければ、国としての恒産も豊かになります。
  昔、周の時代にとられていた”井田法
(せいでんほう)”を説明しましょう。
下図のように一里四方の土地を九等分し、国への納付地(公地)を
真中におきます。そうすると、八軒の農家は、まず共働して公田を耕して、
奉納し、それから自分の私田にとりかかりました。こうして国の倉庫も
満たされ、八農家は一家平均七人の家族を十分養うことが出来たのです。

私田私田私田
私田公田私田
私田私田私田

  人民に不平不満を抱かせないことこそ、王道政治の第一歩です。
そういう善政をしいて、真の王者になれなかったという例はありません。」
  ”恒産なきもの恒心なし”は衣食足りて礼節を知るという、単純な
修身的説法ではない。政道に必要なものは、まず財産の確保だと孟子は
指摘する。井田法は原始共産的な思想が臭うが、それよりも孟子が説く
性善説の真髄を現しているといえよう。
  性善説とともに王道政治を説いた孟子は、時代の王侯達からは、
むしろ敬遠された。前述の魏の悪玉も、孟子に諮問しながら、結局は
”迂遠(うえん)にして事情にうとし”として、政治顧問には迎え入れて
いない。
それから孟子の約20年に及ぶ放浪の遊説行が始まるのである。
  往時、各国の君主たちは君権強化に忙しかった。かれらが渇望した
のは権力支配と覇権のノウハウだった。
(以下、次回に続く)


  白川零次PROFILE

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1936年韓国ソウル生まれ。東京大学法学部
卒業後、三井金属鉱業株式会社入社。ロンドン
事務所長、福岡支店長、営業部長等を歴任。
1996年から執筆、講演活動に入る。著書に
『ビジネスマン読本 司馬遼太郎』『同 松本清張』
『同 城山三郎』『泥舟の宴』等多数。