「史劇に学ぶ」                     白川零次著

第十回 革命のエネルギー


  

  息づまる沈黙の闇が流れる。しびれを切らした長州藩士の一人が
つぶやいた。本人はつぶやいたつもりが、沈黙のしじまが十数人すべての
耳に彼の声を届けてしまった。
  「われら長州が頭をさげることはなかろうが。芋からさきに降参すべき
じゃろう」
  薩摩も長州もはっとした。そのとたん仲介役である土佐藩の坂本竜馬が
すかさず、
  芋とはよかったわい」
  と呵呵大笑した。それにつられるように薩摩藩士までも笑い出し、
雰囲気がなごむ。その一瞬の空気をとらえて、
  「なるほど降参でごわすか、いかにも降参しもそ」
  西郷隆盛が笑みを浮かべながら、それでも居並ぶ藩士達を威圧する
目つきで声を発した。
  かくして倒幕の基礎固めとなる薩長連合の盟約がかわされたのである。
  
明治維新が革命といえるか、という点については国体論、あるいは
イデオロギー的に考えて、疑問なしとしない。しかしこの激動期を生きた
志士達のエネルギーに、革命の奔流を見る思いがする。
  維新の始期は、1853年(嘉永6年)のペリー来航からと見る説が
一般的だ。しかしそれ以前から、我が国が国際化の波に翻弄
(ほんろう)
される日が近いこと、そのために国防強化が必要になると予言した思想家
がいた。長州の吉田松陰である。彼の門下から、久坂玄瑞(げんずい)や
高杉晋作という革命の実動家が松陰予言の具現化目指して活動する。
薩摩の西郷、土佐の竜馬もこれに呼応して、大政奉還の実現を目指した。
  革命の始動期と活動期に勇躍した5人の志士すべてが、雄図なかばに
して非業の死を遂げる。高杉は病死であったが、革命活動に我が身を浸し
切った上での過労死というべきであろう。
  革命が次の段階に進むと、新体制を規律化し、新しい社会秩序を整備
する実務的政治家が現れる。薩摩の大久保利通、長州の伊藤博文等が
そうであろう。
  彼等もまた、志しなかばにして暗殺される。初代首相となる伊藤の死は
明治41年(1908年)、維新から40年も後のこと。だが明治6年、維新政府で
論争された征韓論に端を発し、日清日露戦争後、韓国併合の企図が
(あら)わになるなか、朝鮮総督となった博文はハルビン駅頭で、朝鮮の
国士、安重根に暗殺される。維新の名残を感じさせる横死といえよう。
  右のように歴史上名を残した人物だけではない。その幾百倍という
べき草莽
(そうもう)の志士達が暗殺ないし刑戮(けいりく)された。明治維新は
無血革命に近い、という説がある。だが志士達の横死だけではなく、
戊辰戦争における戦死者は七千人を数えた。日清戦争のおよそ半数に
相当する激戦だった。
(以下、次回に続く)

  白川零次PROFILE

前のページに戻る

1936年韓国ソウル生まれ。東京大学法学部
卒業後、三井金属鉱業株式会社入社。ロンドン
事務所長、福岡支店長、営業部長等を歴任。
1996年から執筆、講演活動に入る。著書に
『ビジネスマン読本 司馬遼太郎』『同 松本清張』
『同 城山三郎』『泥舟の宴』等多数。