「史劇に学ぶ」                     白川零次著

第二回 武将の器量・参謀の技量

(前回からの続き)

もう一人の下臣がこれに付け加えた。「劉邦は常に献策者が必要だった。
献策者が複数の場合、彼は最良の策を選んだ。そういう選択能力はあったし、
選択の最終責任は自分にあると言った。たとえその策が失敗に帰しても、
献策者を咎(とが)めなかった。だから誰もが彼のために、知恵を絞って
やりたくなるような人間的雰囲気を持っていた。」
劉邦の出自ははっきりしない。一介の群盗の頭目だったという節が有力だ。
何(しょうか)はもと小役人、韓信は無頼の徒で最初項羽の配下だったが、
献策が受け入れられないのに業をにやして、劉邦のもとに走った人物である。
このように劉邦の漢軍は、最初から血族的色彩は薄く、純粋に軍事集団で
あった。
一方、項羽は秦に滅ぼされた楚の名将項燕の孫で、若い頃叔父の項梁に
見出されて頭角を表した。生涯、項一族という血縁にしばられていたのである。
劉邦のように適材適所を自由になしうる立場になく、また項羽自身そのような
発想もなかった。今から2200年前という古い時代においてさえ、同族会社の
有事における組織的脆(もろ)さを露呈したということになろうか。
血縁にしばられず、機能本位に組織された劉邦軍が勝利を収めたのは当然
だったといえよう。しかしその劉邦もひとたび天下をとれば、ことは変わる。
我が身の安泰をはかるため、その後は急速に血縁者を重用し始めた。
この時、二人の参謀が対照的な道を選んでいる。一人は韓信。論功行賞で
与えられた広大な新領地で、彼は善政をしき、その名声は劉邦をしのぐほどに
なった。その風評の勢いに、皇帝の座を脅かされるのではないかと恐れた劉邦は
、いわれのない謀叛(むほん)の罪を着せて韓信(かんしん)からその領地、
財産、官位を剥奪し、閑職に封じ込めてしまった。
「狡兎は死して良狗煮らる」狡い兎(恐るべき敵)が狩り尽くされると、今度は
忠実な猟犬(韓信)が主人(劉邦)に煮て食われるのだ。そういう非情な情理に
気づくのが遅かったと、韓信は嘆きつつ、非業の最後を遂げる。
一方、張良は天下をとった劉邦の心のゆれをはっきりと見ていた。韓信同様、
功賞で新領土を与えようと言われた時、これを固辞し、しかも劉邦のもとで働き
始めた当座の領地だけでよいとして、現領地の一部を返上した。それゆえ劉邦
から謀叛の疑いをかけられることもなく、ひっそりと安穏な余生を送ったという。
項羽討伐の前夜、項羽軍の捕虜たちに楚歌を歌わせ、楚軍兵士の戦意を喪失
させた、あの有名な”四面楚歌”戦術を劉邦に進言したのは、ほかならぬこの
張良である。
「武将の器量・参謀の技量」は今回でおわりです。次回は「武将の器量・参謀の
技量」
をお送りします)

この原稿は、大坂ガス(株)が発行する「millennium」(第2号)に発表されたものを
再掲示させて頂いたものです。


  白川零次PROFILE

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1936年韓国ソウル生まれ。東京大学法学部卒業後、
三井金属鉱業株式会社入社。ロンドン事務所長、福岡
支店長、営業部長等を歴任。1996年から執筆、講演
活動に入る。著書に『ビジネスマン読本 司馬遼太郎』
『同 松本清張』『同 城山三郎』『泥舟の宴』等多数。