「史劇に学ぶ」                     白川零次著

第三回 天気晴朗ナレドモ浪高シ


  「敵艦見ユトノ警報二接シ、連合艦隊ハ直二出動、之ヲ撃滅セントス」。
  部下が起草した大本営宛電文の案を一瞥
(いちべつ)した作戦参謀、
秋山真之
(さねゆき)はややあって、自ら一行加筆した。
  「本日、天気晴朗ナレドモ浪高シ
  世界海戦史上、稀有(けう)のパーフェクトバトル(完勝)といわれる
日本海海戦の幕はかくして切っておとされたのである。
1904年10月、バルト海を出港したロシアのバルチック艦隊がどの海路を
とるか、迎え討つ連合艦隊の関心はその一点にあった。
  既に敵の旅順艦隊は撃滅し、旅順港は我が手中にある。バルチック
艦隊がウラジオストックを目指すことは明らかだ。もしそこへ数艦でも
逃げこまれれば、日本海海域での制海権に支障を来たし、陸軍が陣取る
満州への補給路が断たれる恐れがある。
  正に”皇国ノ興廃、比ノ一戦二アリ”。バルチック艦隊を完全撃破せよ、
東郷平八郎司令長官に君命がくだった。秋山参謀の胸中には”一挙撃滅”
という大本営宛電文の文字が焼きついている。
  秋山には奇癖のエピソードが多い。敵艦隊が、接近した頃から靴の
ままベッドに入りこむことがしばしばだったという。ただしこれは奇癖
とは言えまい。彼の頭の中には、敵の海路予測と一挙撃滅作戦の成否が
渦を巻いていたのだ。
  作戦の一つは”七段構え”の戦術スケデュール。昼間は砲撃、夜間は
雷撃、それを4日間かけてつごう七段階に及ぶ波状攻撃がそれだ。そして
第一回目の邀撃
(ようげき)はかの有名なT字戦法。単純縦形で接近しつつ
敵艦隊直前で回頭する。回頭当初は一方的に集中砲火をあびる危険な
戦法だが、敵艦隊に対して腹を向ける横一線の隊形を作った時、こちら
からの集中砲火による破壊力は数倍になるのだ。
  この秋山戦術もバルチック艦隊が対馬海峡沿いの海路をとる時、
最も有効となる。もし北海道回遊ルートをとるとすれば、現在地鎮海湾
から能登半島付近へ、待機場所を移動せねばならず、この場合、七段
構えが数段構えと化し、敵艦隊の何割かがウラジオ湾に逃げこむ恐れが
ある。
  1905年4月ベトナムのカムラン湾を出港したあと、敵艦隊の行方が
(よう)として掴めぬ状況が続いた。対馬海峡か、北海道か幕僚達の
意見がわかれ、能登半島へ移動すべきとの主張がやや有力となる。
しかし最終的には東郷の決断で現在位置待機に決定した。
  そして5月27日仏曉、長崎五島列島沖を哨戒中の信濃丸が50隻に
及ぶロシア艦隊の船影を捕捉し、「敵艦見ユ」を打電した。この受電を
知った時、秋山は「シメタ、シメタ」と踊り出したという。
  午後 一時過ぎ、お互いの距離一万二千に迫った時、双方が相手の
全容を視認、旗艦三笠にZ旗が揚げられた。

(以下、次回に続く)

  白川零次PROFILE

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1936年韓国ソウル生まれ。東京大学法学部卒業後、
三井金属鉱業株式会社入社。ロンドン事務所長、福岡
支店長、営業部長等を歴任。1996年から執筆、講演
活動に入る。著書に『ビジネスマン読本 司馬遼太郎』
『同 松本清張』『同 城山三郎』『泥舟の宴』等多数。