「史劇に学ぶ」                     白川零次著

第四回 日露戦勝の功罪


(前回からの続き)

  だが孔子曰く、「民はこれに由(よ)らしむべし、これを知らしむべからず」。
”人民を心服させることが為政者の要件である。政策まで理解させる
必要はない”という名言を残した。すなわち国民を心服させ納得させる
ことがまず肝要なのだ。もし納得させたら、その時はすべてを情報公開
しなくともよい、と論語は指摘している。
  この一節は、古来、為政者や権力者側にとってのみ、都合のよい
解釈がなされてきた。つまり”国民に情報公開する必要はない、従わせて
おきさえすればよい”、という国民に対するだましのテクニックを奨励する
ような解釈である。
  背景はともかく、明治政府と軍部は情報公開しなかった。国民に対して
だけでなく、軍内部でも秘密主義が取られた。陸軍と海軍それぞれが
編纂した日露戦争史は、論功行賞を意識したきれいごとばかりで、苦戦の
原因、あるいはいくつかの局面における敗戦の分析追求がまったくなされて
いない。
  このことがやがて、神州不滅、八紘一宇に象徴される軍部のファナティック
な独走を許す結果となり、昭和の悲劇的敗戦につながっていく。あのような
愚行と悲劇を二度とくり返してはならない。
  ガイドライン関連法が成立した。自自公連立という数の力を頼みの
成果である。この法案によって即、戦争突入とは考え難いが、ここ10年来
バブルへバブルへと草木もなびき、その不良資産処理を先送りし、結果的に
国民の血税投入、そして今、大リストラの横並び横行、各省庁の汚職続発、
原燃事故や商工ローンの無責任放任などなど、かの太平洋戦争の愚行を
想い起こさせるような平成の世相ではないか。権力志向、派閥優先、情報の
隠蔽
(いんぺい)や欺瞞(ぎまん)、横並び姿勢、先送りの事なかれ主義、
これ等の体質は半世紀前と少しも変わっていないではないか。特に時の
政治家や指導者層に脈々とうけつがれる無責任の体系に、すべての悪風の
根源を見る。
  山本権兵衛
(ごんのひょうえ)海相や大山巌(いわお)参謀総長等は、明治維新
という革命の刃
(やいば)をくぐり抜けてきた。日露戦争において、”皇国の興廃”
に対する結果責任を十分認識していた。そういうリーダー達が指揮をとった
日露戦争までは、我が国に良識という名の士風が漂っていたように思う。
  昭和の悲劇は、ひよわで視野の狭い軍人達が結果責任という自覚を
もたずに、政治を壟断
(ろうだん)してしまったところにある。この軍人を官僚
およびそれに癒着する経営者に置きかえたら、そのまま平成の世相に
つながるだろう。歴史に不連続性はなさそうである。
  論語をもう一度噛みしめよう。国民を心服させるのが為政者の要件である。
この要件をはたし得ない政治家や権力者は、結果責任をとって即刻退陣
すべきである。
日露戦勝の功罪は今回でおわりです。次回は「歴史上の光と影」
をお送りします)

  白川零次PROFILE

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1936年韓国ソウル生まれ。東京大学法学部卒業後、
三井金属鉱業株式会社入社。ロンドン事務所長、福岡
支店長、営業部長等を歴任。1996年から執筆、講演
活動に入る。著書に『ビジネスマン読本 司馬遼太郎』
『同 松本清張』『同 城山三郎』『泥舟の宴』等多数。