地方史資料の紹介(No.2)

「大田区史
」(資料集)

  東京都大田区では、昭和50年代後頃半から平成2年くらいにかけて
旧家に保存されている古文書を発掘の上、「資料集」として発刊してきた。
全部で30巻に及ぶ資料集となったが、その内容は極めて充実しており、
一般人が利用しやすい態様となっている。但し、各文書(資料集)毎に
簡単な索引があればより使い易い資料になったと思われる。
  さて、内容は非常に多岐にわたっており、どの項目をとっても深く追求
すれば興味のあるものが多い。手元にある資料のうち、”東海寺文書”を
取上げてみよう。この資料は、品川区北品川にある東海寺に関係する
古文書である。東海寺は、寛永15年(1638年)臨済宗 京都 大徳寺の
末寺として徳川家光の命により、名僧澤庵宗彭によって開山された名刹
である。この寺の場所が、徳川幕府の最も重要視する東海道に面している
ことから、幕末における”公用記録”には興味ある記述が随所に見受け
られる。嘉永6年(1853年)6月7日付け公用記録によると、
    今般浦賀沖
異国船相見 若品川沖小船等入船之儀
    難計候得
狼狽致シ寺院空坊ニ不相成様火之元大切ニ相守可申候
  ”徳川実記”の6月15日付けの項目ではわずか1行の記述ではあるが、
この件について述べている。
この2年後の安政2年(1855年)10月2日”安政大地震”が起った。
”東海寺文書”はこの日の事を次のように記述している。
    夜四時府内府外大地震家倒出火四拾余ヶ所ヨリ一時発老若男女
    数万人死亡幸山中並配下領地門前等迄茂壱人茂無怪我常住損所
    山門仏殿景福祠御成書院黙雷大小庫裏右小破……
と記述している。実はこの地震により水戸藩江戸藩邸にいた藤田東湖
(勤皇家、水戸藩儒者)、戸田忠敬(勤皇家、水戸藩家老)、葦野麻績
(国学者)らが死亡している。
  更に2年後の安政4年(1857年)8月24日付けにコレラが流行した事を
次のように記述している。
    此節流行之暴瀉病者其療治方種々ある趣ニ候得共其中素人
    心得へき法を示す預め是を防くに者都而身を冷す事なく腹にハ
    木綿を巻大酒大食を慎み其外こなれ難き食物を一切給申間敷候……
  江戸では、コレラの蔓延により多くの人が犠牲になっている。
  以上ここに取上げた項目は、数千頁に及ぶなかの極一部であるが、
多くの記述されているものの中には歴史的な出来事が見受けられるので、
歴史に興味があって特定のテーマについて調査したい人は、太田区立の
各図書館でこれらの資料集を備えているので見ていただきたい。上記の
”東海寺文書”以外はほとんど見る機会がなかった為、内容について
コメントできないことをお許し願いたい。(M.D)

(東京都大田区、昭和59年)

前のページに戻る