「神戸の本棚」             植村達男著

第一回 神戸の本棚


本棚の一番上のガラス・ケース一段に神戸に関係のある本が並んでいる。
これぞまさしく私が昭和30年8月から昭和39年3月まで、御影・六甲あたりに
住んでいたことのある証左である。
これらの本の中には田宮虎彦・小松益喜『神戸 我が幼き日の…』
(昭和34年・中外書房)や朝日新聞神戸支局編『ミナト神戸』(昭和37年
・神戸国際観光協会)の如く、私が神戸に住んでいる間に求めたものも
多い。しかし一方、神戸を離れてから都内の書店や古本屋で買ったもの、
神戸に旅した際に市内でみつけたものも多い。
『ユーハイム』(昭和39年・株式会社ユーハイム)は、昭和45年ごろに
広尾(渋谷区)の小さな古本屋の店頭の廉価本の中からみつけた
ものである。この本の存在は新聞のベタ記事で知っていた。ユーハイムが
創業50年にちなんで作成したもので、あとがきには「社史」という定義も
されており、非売品である。神戸ゆかりの西洋菓子店に関心のあった
私にとって、この本はまさに掘出物である。
この本を見つけたのは秋晴れの日曜日の午後のことである。渋谷近くに
住んでいた私は、昭和35年ごろたった一度だけ入ったことのある喫茶店
「グリム」にもう一度行こうとして広尾へ行った。くだんの喫茶店はすでに
まったくあとかたがなかったが、日赤中央病院から聖心女子大学へ
向かっている道をだらだら下った坂の下の古本屋で、この本を見つけた。
たった一度だけ入った感じの良かった喫茶店の「おみちびき」とでも
いおうか。
この本の126ページに六甲ゆかりの叙述がある。
いったんドイツに帰国したエリーゼ夫人を再び会社にむかえようとして
いたころのこと、神戸大学の山下勝治教授がドイツ留学するという
ニュースを六甲の喫茶店「エクラン」のマダムから聞いて、ユーハイムの
平川社長が山下教授にエリーゼ夫人を説得するよう依頼した。山下教授は
最初は二の足を踏んだが、結局この美しい話にうたれ「よろしい。できるだけ
やってみよう。」と引き受けたとのことである。これは昭和27年ごろのことで、
まだ海外旅行ままならぬ時代のことである。戦前からあった「エクラン」が
現在でも同じ場所にあるのは、阪急六甲駅付近の変貌が大きいだけに嬉しく
思っている。
もう一冊神戸の本を紹介しよう。創元社編集部編『神戸味覚地図』(昭和38年・
創元社)である。このシリーズは現在でも出版されているが、味覚地図という
本の性格から随時改訂されている。値段が書き直されるだけでなく、集録される
店も差し替えられる。
この本の最初の店はベンガルである。六甲登山口からまっすぐ北へ登って
いって六甲団地や神戸大学への登り口のところに、この店はあった。住所は
灘区水車真電61とある。同じ経営者が神戸のどこかで再び店を開いているかは
確かめてないが、『神戸味覚地図』から外されて久しいことを考慮すると、私が
ベンガルのカレーやキャベツの漬物を再び味わうことはできないであろう。
数年前、府中(この町は競馬場があることで知られている)の古本屋で百円で
買った『神戸味覚地図』のベンガルの項を読むと、往時を思い出して口の中に
唾液がたまってくる。
(次回は「小説『新雪』と六甲」を予定しています)
この原稿は、(株)勁草書房が出版した「神戸の本棚」(1986年10月5日
第1版)に発表されたものを再掲示させて頂いたものです。


 植村達男PROFILE

1941年鎌倉市生まれ。1964年神戸大学経済学部卒業、
住友海上火災保険(株)入社。自動車業務部次長、情報センター長
著書に『時間創造の達人』(丸善ライブラリー)、『本のある風景』(勁草書房)ほか

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