「神戸の本棚」           植村達男著

第二回 小説『新雪』と六甲


  藤沢桓夫の小説『新雪』は昭和16年、朝日新聞に連載された。この
小説の舞台は終始、六甲駅付近である。ところが、作者は戦争への
暗い影という時局や、それに対比させた蓑和田良太(若い国民学校
教師)と、彼をとりまく明るく生きる人々を描写するのに傾いたためか、
文学散歩的興味を惹くようなことを、あまり書いていない。
  『新雪』というと、世間的には歌謡曲の方が良く知られているかも
知れない。この曲は小説が映画化されたときの主題歌なのである。

    紫けむる 新雪の
    峰ふり仰ぐ この心
    麓の丘の 小草を敷けば
    草の青さが めにしみる

    汚れを知らぬ 新雪の
    素肌へ匂う 朝の陽よ
    若い人生に 幸あれかしと
    祈る瞼に 湧く涙

    大地を踏んで がっちりと
    未来に続く 尾根伝い
    新雪光る あの峰越えて
    行こうよ元気で 若人よ
        (日本音楽著作権協会(出)許諾8661013 601号)

  ところで、この歌からも六甲山に積もった新雪というイメージはなぜか
湧いてこない。作詞者佐伯孝夫は、実際に六甲の地を踏んでこの詩を
作ったのだろうか。
  昭和41年のこと。日本テレビ(読売系)が『新雪』をテレビ・ドラマとして
放映した。確か小林千登勢が主演女優の一人であった。第一回目を
見て私は唖然とした。時代が現代(すなわち昭和41年)になっている
ばかりか、場所が鎌倉になっていて、大仏さんの顔がたびたび出てくる
のである。私は早速ペンをとり「いいかげんなドラマ化はやるな!」という
趣旨の投書を毎日新聞へ出したところ採用された。これが読売新聞
だったら、決して掲載されなかっただろう。
  以上のような経緯でもわかるように、『新雪』が文学散歩や文学
風土記の中に収録されるケースは少ない。同じ雪のつく小説でも『細雪』
とは大ちがいである。手元にある『文学のふるさとー神戸とその周辺』
(昭和51年・明治書院)や、『六甲山系』(昭和38年・中外書房)の文学の
項にも『新雪』は見当らない。
  この小説の最初の部分に六甲駅付近の描写が少しある。蓑和田
良太が夜十時ごろ電車を降り、空腹を感じ「ふと見ると、駅前に怪しげな
串カツ屋が一軒薄汚い屋台を出している。」ので、そこへ飛びこんだ。
そのところを、同じ電車から降りた若い女医の片山千代に目撃される
という場面である。
  私は『新雪』を二冊持っている。一冊は昭和32年初版で同昭和
36年版の角川文庫(91−2)である。現社長の経営方針でそうなったか
どうかは知らないが、この文庫本は現在絶版である。もう一冊は数年前
明大前駅(世田谷区)付近の小さな古本屋で見つけた新潮社の初版本
(昭和17年)である。戦時中の出版ながら25,000部発行されている
ところを見ると、当時の人気がしのばれる。この本には田村孝之介の
挿絵が数枚入っているが、これらを見ても当時の風俗(服装や室内の
ようす)としては興味はあっても風土として関心をひくものは無い。
  思うに、この小説はたまたま舞台を六甲付近に設定したもので、
別に豊中でも須磨でもよかったのである。そこで、歌・テレビ・挿絵等
にも六甲のイメージが涌きでてこないのであろう。しかし、
「紫けむる 新雪の」という灰田勝彦の歌を聞いて「ああ、あれは六甲
ゆかりの歌だ。」と思う人が少ないのは淋しいことである。
(次回は「三人の女流作家」を予定しています)
この原稿は、(株)勁草書房が出版した「神戸の本棚」(1986年10月5日第1版)に
発表されたものを再掲示させて頂いたものです。


 植村達男PROFILE

1941年鎌倉市生まれ。1964年神戸大学経済学部卒業、
住友海上火災保険(株)入社。自動車業務部次長、情報センター長
著書に『時間創造の達人』(丸善ライブラリー)、『本のある風景』(勁草書房)ほか

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