「神戸の本棚」                 植村達男著

第二十六回 神戸と”ガイジン”


  『暮しの中のユーモア』(昭和56年・創元社)、『笑いとユーモア』(昭和54年・
筑摩書房)、『絢爛たる暗号――百人一首の謎を解く――』(昭和53年・集英社)
等の著書があるユーモア、笑い、言語遊戯研究家の織田正吉は神戸市灘区
鶴甲2丁目の住人である。大阪へ出るときは阪急六甲から阪急電車を利用する
ことが多いが、その日の気分によって国鉄や阪神を利用することもあるという
(『暮しの中のユーモア』16ページ)。したがって、織田正吉は南天荘書店各店
にも立ち寄ることが多いのではなかろうか?
  その織田正吉が昨年下半期に毎週1回(木曜日)ずつ、日本経済新聞夕刊
第1面の「あすへの話題」というコラムになかなか凝った文章を連載していた。
クリスマス・イヴの12月24日付には、「虚像と実像」という題で、「神戸は外人が
多いエキゾチックな町」というのは、アメリカの”進駐軍”が駐留していたころまでの
ことで、現在は当時と比べて相当様変りしていることを、数字的裏付けや、「港の
機能の変化」(例えばコンテナ化)をもって説明している。
  この記事を読んで私自身もハッと思うところがあった。神戸を離れて18年、
その間年に1〜2回は神戸を訪れるものの、私の頭の中にある神戸は昭和30
年代の神戸である。
  東京(世田谷区)から神戸(東灘区御影町)へ越して来たのは、昭和30年の
夏のことである。父の会社の借上社宅の道を隔てた東側の家の脇にはドイツ人
が土地を借りて木造のガレージを建てていた。
  休日にはドイツ人父子がフォルクスワーゲンを手入れしている風景がみられた。
阪急電車の御影駅から私の住んでいた家へ下って来るまでの間には金髪、青い
目の外国人の家が何軒かあった。道の両脇の電柱には白いペンキ塗りの細長い
板に黒字でファミリー・ネームを表示した案内板が何本か打ちつけられていた。
ポンティアックという車をしげしげとながめたのは、御影城ノ前の外人の家の前で
ある。私はポンティアックという車の名前を聞くたびに、阪急御影駅から南へ下る
だらだら坂や、その西側を流れる天神川の流れ、桜並木等を思い出す。
  神戸へ来たばかりのころのことであるから、中学2年か3年の出来事である。
私は父に連れられて、オリエンタル・ホテル(現在の建物の前の建物で堅牢で
風格をもっていた)のロビーで印象深いシーンに遭遇した。ロビーに置かれた
テレビ(白黒)をみていた外人と日本人が栃錦(現春日野親方)の土俵入りを
ながめながら、「カンペオーン」という語を発した。そのとき父は、「あれはたぶん
スペイン語だ。カンペオーンというのは、チャンピオンと同じ意味で、横綱の
ことだ」と私に教えてくれた。父はスペイン語の素養があるわけでなく一種の
推量で、そう言ったものである。後年私がスペイン語に興味を持ち、若干かじり
かけたのも、潜在的にこのシーンが影響しているのかも知れない。
  阪急六甲から三宮行きのバスは神戸市バス最大のドル箱の由(宮崎民雄
『都市の経営』、日経新書、55ページ)であるが、このバスの中で、もう一つの
西欧語に関する体験を持ったことがある。三宮へ向かうバスの後方座席で
2〜3人のカナディアン・アカデミーの金髪・白人の生徒が声高で何かをしゃべって
いた。当時私は大学生だったので、彼らが話している言語が英語、フランス語、
ドイツ語のいずれでもないことは分かった。また、スペイン語、イタリア語でもない
ことも、まず間違いなかった。このときはとうとう分からずじまいであったが、
約15年後に、神戸市須磨区にノルウェー人が集団で住んでいることを報じる
テレビ番組をみて、たぶんカナディアン・アカデミーの生徒が喋っていたのは
ノルウェー語にちがいないと思っている。
  哲学者として高名な東京大学名誉教授金子武蔵は、神戸の鈴木商店
(現日商岩井の前身)の番頭として歴史に名をとどめている金子直吉の子息
である。彼は昭和52年12月9日から24日まで読売新聞夕刊に「いずれの日か
故郷に帰らん」という副題をつけた自伝を連載していた。私自身は神戸の
生まれではないので、ストレートに神戸を故郷と呼ぶのは何となくおこがましい。
そこで、先の副題をもじって「いずれの日か神戸に帰らん」という風に私の
神戸に対する気持ちを表しておきたい。そして、将来私が神戸に帰った時
には、少なくても虚像に近くても良いから、「エキゾティックな町」のイメージが
残っていて欲しい。

(次回は「六甲会館をめぐって」を予定しています)

この原稿は、(株)勁草書房が出版した「神戸の本棚」(1986年10月5日第1版)に発表されたものを再掲示させて頂いたものです。

 植村達男PROFILE

1941年鎌倉市生まれ。1964年神戸大学経済学部卒業、
住友海上火災保険(株)入社。自動車業務部次長、情報センター長
著書に『時間創造の達人』(丸善ライブラリー)、『本のある風景』(勁草書房)ほか

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