「霧の波紋」(6)                 白川零次著

第二章 地塊の滴
(したた)

    (1)

  山川メタルの社長室は専務室の三倍はある。応接セットの外に十人程度の
会議用テーブルが据えられ、デコレーションや調度品も格段の風格だ。かって
昭和七年、山川合名の総帥が右翼に暗殺された時、その総帥が一時避難した
理事長室の雰囲気を彷彿とさせる風格である。
  毎週水曜日の十時から常務会が開かれる。司会は社長の月岡景樹が勤め、
大場会長以下常務以上の七人が集まる。その外に、会議の書記役として取締役
総務部長の高品透がメインテーブルの脇に小机を置いて控える。
福岡支店での自殺事件の翌日の常務会。いつものメンバーが揃った。今日の
メイン議題は山川メタルの中で数少い成長製品の工場である東京都目黒事業所の
移転問題である。
「その後どうなってますかね。俵副社長。」
  司会役の月岡社長が口火を切った。彼は通産省からの天下りだ。今から七年前、
五十五歳の時、山川メタルは通産省から月岡の天下りを押しつけられた。当時社長
であった現会長大場均はとりあえず月岡を顧問として迎えた。その一年後大場は
会長に退いたが、後任社長には月岡でなく、子飼いで腹心の長田を据え、月岡は
専務取締役とした。月岡自身は大人しい人柄で役人臭さもあまりなく、大場の後任
社長人事に異論はまったく挟まなかった。
  しかし通産省からの容喙(ようかい)が激しくなった。同じく金属業界で、他社に
天下りした月岡と同じ局長級役人は天下り直後、ないしは一年以内に社長に就任
している。本来が不況産業である非鉄金属の中で、万年赤字企業のくせに山川
メタルは天下りお役人様に対して傲慢だ、という意味での横槍だ。パーティーの席
などで、通産省の事務次官や審議官が大場会長に会う度に、嫌味たらしく話し
かけて来る。“いやあ本省の若い奴等も仲々うるさいのが多くてね”、やんわりと
言いながら、事務次官の眼光はきつかった。“山川メタル級への天下りは通産省の
課長級がその人事権を握っているな”と大場会長はその時実感した。
  山川メタルの経営にとって何の功績もなく、寧ろ余計な存在と見られていたが、
大場会長は通産省の圧力に屈して三年前、月岡を社長に据えた。
  可もなく不可もなく社長の椅子に坐って一期半、今年六月の株主総会を期に
社長交替は必至と見られている。山川メタルとしては月岡を、二期社長に据えた
ことで通産省への義理も十分果たしたというところだ。
  月岡本人も半年後の引退を自覚しており、最近では常務会の司会も専ら、
進行係に徹した態度である。
「現在のところ二社からの提案があることは前回お話した通りですが、大石建設の
方が積極的に働きかけて来ております。山川銀行の提案よりも条件が良さそうだし、
大石建設の幹部連中とも何度か話し合っております。そうだな高品君」
  月岡社長のいかにも役人然として端正で学者風の風貌と対照的に、

山川メタルの技術陣の総帥として、社内の地歩を固めて来た赤ら顔の俵文四郎
副社長が書記役である高品総務部長に目をやった。メモをとる手を休めて、
「その通りでございます。」
  自分が意見をさし挟む身ではないことを心得て、高品はうつむいたまま返答した。
シャンデリア式の蛍光灯に高品の禿げ上がった後頭部が光っている。
「山川銀行の提案についてはどうですかな、原田専務。」
今度は月岡が原田に質問を振った。経理部門、営業部門の総括者として
山川銀行との交渉は原田が全責任を負っている。
「山川グループ二十四社の都市周辺工場や研究所を、神奈川県厚木市郊外に
一括誘致しょうという企画の提案ですが、もう既に山川機械と山川貿易の
コンピューター部門はこの話に乗ったようです。山銀の社長も、ここでうちの
目黒工場が動いてくれれば、厚木総合工業団地企画に拍車がかかるし、
目黒工場跡地の有利転売の案も含めて、大石建設には負けない条件を出す
と言っております。」
  山川メタル目黒工場はプリント基板などに使用される銅箔の製造工場である。
エレクトロニクスの発展に比例しながら、驚異的な発展を遂げて来た。製品開発の
本拠地である目黒工場のほか、台湾とギリシャにそれぞれ半分規模の工場を
建設している。
  山川メタルメインの製品である銅・鉛・亜鉛等の非鉄金属がここ三十年来
低迷を続け、今後も殆ど絶望的と見られる中、銅箔は数少い成長製品だと言える。
だが、その銅箔だけでは海外二工場も含めて製造利益が全体の数パーセント
程度に過ぎないので、とても山川メタルの現従業員総数二千人を潤(うるお)す
わけには行かない。
  福岡支店自殺事件の直接原因と見られるリストラは、ここ三十年来年中行事の
ように繰り返され、その間に八千人の社員が首を切られた。即ち三十年前の
山川メタルは一万人を超える大企業だったわけである。
  非鉄金属自体が不況産業であることは間違いないが、山川メタルの場合
それに加えて、一九七〇年代に起きた我が国四大公害紛争の一つである
鉱毒病の訴訟に敗れ、需来毎年二十億円近い賠償金を支払い続けるはめに
陥った。その事が業績悪化に拍車をかけている事は間違いない。そしてその
経営悪化の責任はすべて現会長の大場にあるという評価が社内の定評と
なっている。鉱毒病そのものへの対策を軽視したこともさる事ながら、当時
青法協を中心にした若手弁護士達の切っ先鋭い理論武装に脆(もろ)くも
屈してしまった張本人が大場だったからである。
  ただ、マスコミを含めて対外的、社会的には大場は公害に対して真摯(しんし)な
経営者であるとの評価が定着した。


(以下、次回に続く)

  白川零次PROFILE

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1936年韓国ソウル生まれ。東京大学法学部
卒業後、三井金属鉱業株式会社入社。ロンドン
事務所長、福岡支店長、営業部長等を歴任。
1996年から執筆、講演活動に入る。著書に
『ビジネスマン読本 司馬遼太郎』『同 松本清張』
『同 城山三郎』『泥舟の宴』等多数。