「霧の波紋」(9)                 白川零次著

第三章 ゆすりの背景

    (1)


  福岡支店の自殺事件は一旦終決したかのように見えた。ところが数日後、あまり
名前の知られていない総会屋が山川メタルの大場会長宛に内容証明文書で詰問を
つきつけて来たのである。例の九州日々新聞の夕刊記事のコピーが同封してあった。
  大場会長は現場の課長や人事本部長だった三十、四十代の前半頃までは
“社員は宝だ”と社内外に公言して、人事本部長ではなく人情本部長だと言われていた。
取締役総務部長になる四十歳代後半頃から公害紛争での敗北や円高による地金の
価格低迷で、山川メタルの業績は悪化の一途を辿り始めた。
  その悪転した情勢に合わせるかのように、大場は人情本部長という名誉ある称号を
返上して、一転首切り部長としての名声を轟かせた。
  何しろ取締役総務部長・社長・会長在任二十二年間に一万人を二千人にしてしまった
張本人なのである。最初の頃は転職先を探してやり、直属の上司にも転職の斡旋を
するよう指示していた。もっとも口先だけの温情に過ぎなかったようだが。
  しかしそのうち温情的首切りでは間に合わなくなってきた。大場取締役は各部所長に
首切りノルマの員数指示を出すようになった。現籍員数の一割程度という穏健な指示も
あったが、狙い定めた部所には、一挙に五割や六割減を命ずることもしばしばだった。
大場自身は直接社員に対して首切り言い渡し役人には絶対にならずに、直属の部所長が
その任務に当たった。そして大場の命令通りの整理員数未達の場合、その部所長や
課長連中を容赦なく首切りという血祭りに上げた。およそ二十年間に、八千人も首切って
おきながら、その首切りが直接原因による自殺者が一人も出なかったのは不幸中の
幸いと言えよう。ところが今回、自殺者がとうとう出てしまったのである。
  その総会屋の内容証明便は、大場会長のかっての鳳声(ほうせい)であった

“人情部長”と今回の福岡支店社員の自殺との矛盾を突いて来た。
“自殺の原因をつまびらかにせよ、もしその原因がリストラによるものであるとすれば
大場会長の心境や如何。貴回答が納得出来ない場合は、来たる六月の株主総会で
追求する準備がある。”という趣旨である。
  この手の総会屋は昭和五十七年商法改正前の総会屋に甘い時代、いつも
十、二十万円程度の“お車代”で済ませて来た。改正後はこの手の小物総会屋との
つき合いを山川メタルは極力切り捨てた。昔からのつき合いでどうしても切れない
大手の総会屋だけに絞り込んだのである。
  切られた方は当然その恨みもあるし、小銭ほしさの狙いもある。今回の内容証明便も
そういう遺恨に端を発したものだろう。
  会長宛の文書はすべて一旦秘書室長が開封する。その総会屋書状を一読した
秘書室長は青くなって、総会屋対策の責任者である高品総務部長のところへ
すっ飛んで行った。
  受け取った高品も驚いたが、それは別の驚きだった。高品はその総会屋草加巌雄
という名前に明確な記憶があったのである。
「秘書室長、使途不明金の機密費が必要と思うけどどれくらい出せますかね。恐らく
十万や二十万では済まないでしょう。五十万かいや百万は覚悟しておいて頂けませんか。」
  秘書室長は高品より二つ年上である。丁寧な言葉遣いでそれだけ言うと、今度は
高品総務部長がその書状を持って俵副社長の許に走った。
「高品君、会長にお見せする前に、君、ここでメモでよいから回答文の案を作ってみてくれ。
それを会長室に持って行こう。そして五、六十万つけてやるというお伺いをたてることにしょうか。」
  俵は手許にある社内用紙を二、三枚ちぎって高品部長に渡し椅子をすすめた。
「解りました。私もそれが一番良いとおもいます。実は副社長、この草加巌雄という男は
ちょっとした因縁がありまして。」
「因縁?」
「はい、七年程前、まだ大場会長が社長時代だったとおもいますが、会長のお嬢様が
ロンドンで交通事故死しましたね。」
「ああ大場早苗さんだね。当時三十五、六だったかな。」
「あの事故は日本の新聞には隠し通したのですが、この草加という男がイギリスの新聞か
何かで嗅ぎつけましてね。あれは単なる事故ではない。会長令嬢には男がいたのでは
ないかと鎌をかけてきたのです。」
「そうか。あれはこの男の鎌かけだったのか。でもそのあとで、いろんな新聞や業界誌や
そうそう芸能関係の暴露週刊誌にまで“男がいた”とかいや“無理心中”とか書きたてられた
じゃないか。貧乏会社とはいえ、山川グループの中枢会社の名物会長だっただけに、
娘さんのスキャンダルは結構、世間の興味を引いたもんだな。」
「そうなんです。恐らく草加は我が社にゆすりをかけたが、うちが十分な対応をしなかったので、
小遣いほしさに怪し気なブン屋に情報を売っ払って歩いたのでしょう。業界誌側もガセネタか
どうか殆ど調べもせずに面白おかしく書きましたね。」
「そうか、うちは一銭も出さなかったのかね。」
「いえ、会長には内緒で十万円渡したのです。そのお金の調達を秘書室に頼んだのは
当時総務課長補佐の私なんです。きっと草加は十万では不満だったのでしょう。」
「それで情報をアチコチに売り込んだわけか。でも新聞や雑誌はそのうち諦めたんだったな。」
「そうですね。途中からどうも“無理心中”なんてのはガゼネタ臭いと気づいたんじゃないですか。」
「さて、ところでこの草加巌雄という男の素性、つまりお嬢さんの事故との関連を会長に説明
するかどうかだが……。」
  俵副社長はそこで一息いれて、高品部長の手許を見つめた。高品は俵と受け応えしながらも
手許を動かして、会長名義での総会屋草加宛の返状案を書き続けている。
  大場会長の一人娘、大場早苗は昔からミステリアスな噂がついて回る人だった。社員達や
幹部連中の前にあまり顔を出したことがない。関東女子大英文科を出て間もなく日本から
いなくなった。ロンドン留学をしたのだという情報が社内に行きわたるのに相当な期間がかかった。
そして七年前突然、ロンドンでの自動車事故死、その劇的な最期が益々彼女をミステリアスに
してしまったのである。また大場会長自身、娘について社員に一切話したことがない。そういう
雰囲気から、あの父娘関係はうまく行っていないのではないか、という風評も社内に広がっていた。
ある時期、山川メタル取引先の社長がロンドンで大場早苗と食事を共にした。
その社長の話では、早苗はロンドン大学に留学していたが、やがて大英博物館で日本人相手の
ガイド役を勤めるようになったという。それでも母親である大場夫人からの送金は続けられて
いるようだと、彼女を取り巻く風評は色んな形で色々な時にふっと吹き荒れたかと思えば、
またふっと消えるという具合であった

(以下、次回に続く)

  白川零次PROFILE

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1936年韓国ソウル生まれ。東京大学法学部
卒業後、三井金属鉱業株式会社入社。ロンドン
事務所長、福岡支店長、営業部長等を歴任。
1996年から執筆、講演活動に入る。著書に
『ビジネスマン読本 司馬遼太郎』『同 松本清張』
『同 城山三郎』『泥舟の宴』等多数。