「霧の波紋」(15)                 白川零次著

第四章 ウルトラC

    (1)-2

 いつも通りハーフ五十そこそこで上がって来た原田専務を会社からの電話が待っていた。
 普通でも甲高い高品総務部長の声があわてているせいか、一層甲高く響いた。
「名古屋支店長の山中取締役が今朝亡くなられました。お通夜や葬儀はまだきめていませんが、
現役の取締役ですから社葬ということになるでしょうね。」
「そうか解った。今ちょうどハーフ終わったところだが、山川銀行とは昼めしだけつき合ってから
すぐ帰ることにする。五時頃には自宅で待機出来るから宜しくたのみます。」

 まだ午後一時前だった。冬の陽射しがまぶしいくらいのハイヤーの中で、原田は大井戸営業
本部長に高品からの電話の内容を話した。大井戸の精悍な表情が益々精悍になったかと思うと、
彼はいきなり運転手に車を止めるよう命じた。街道沿いの大きなそば屋の前だ。
 大井戸は原田の背中をおすように、そのそば屋に入っていった。
「僕はビールと板わさ。専務はどうします?」
「僕はビールだけでいい」
 既に昼食はゴルフ場のクラブで済ませている。それだけを店員に頼むと大井戸が改めて原田に
向き直った。
「いやあ専務、失礼しました。運転手にも聞かせたくない話なんで。」
 運ばれて来たビールをコップにせかせかとつぎながら、大井戸は話を始めた。よほど急いで
自分の考えを原田に伝えたいらしい。
「君の言ってるウルトラCてやつかな。」
「専務、ウルトラCどころかウルトラEぐらいじゃないですかな。名古屋の山中支店長には悪いけど、
こんなに早く亡くなるとは思いませんでしたからね。」
「それで、そのウルトラEとは何かね」
「専務、現役の取締役が亡くなったとすれば当然弔慰金を出すべきですね」
「うん、これまでもいくつかの事例があるだろうな。」
「弔慰金は役員の報酬の一部とみなされるから、当然株主総会の承認が必要ですね。」
 大井戸の目が光っている。さすがに原田も大井戸の意図がはっきりと見えて来た。
「そうか、亡くなった山中取締役への弔慰金……それと大場会長の退職慰労金……今度の
六月の株主総会でこの二つを組み合わせることが可能なわけだ。」
「専務、すごい、もうお解りですね。“山中取締役への弔慰金などの支給を取締役会に一任する”
という形で株主総会決議を通過させるんですよ。そうすれば“退任取締役大場均氏に対する
退職慰労金の支給”という文句はあえて表現する必要がなくなる。議事録にも残らない。」
「おお、大井戸君、まさにウルトラCだ。いやEかも知れん。大場会長の四億円を越す退職
慰労金は社内だけでなく社外からも色々と批判が出るだろう。去年の大同製煉の阿部会長の
二億円だってあれだけ新聞で騒がれたからね。株主総会でまともに会長の退職慰労金を
とり上げて取締役会に一任すると提案したら、一体いくら出すんだって総会屋連中が詰め寄って
来ることは間違いなかろう。退職慰労金を“弔意金など”でぼかしてしまえば総会屋や社内で
波風を立てずに済ませることが出来るかも知れない。総会さえ通せばあとは身内だけの
取締役会だからね。総会に一任された弔慰金など退職慰労金は内規に従って支給すると
決めりゃいいわけだ。」
「専務。この話は慎重になさるように。勿論俵副社長派に気づかれては元も子もない。
最後の土壇場で大場会長に最も鮮やかな形でアッピールするように、一発逆転の機会を
狙うんですね。」
「大井戸君、君の言う通りだ。タイミングとしては新旧役員を決定する頃合いを見計らって、
……恐らく五月末頃になるかな。」
「いや、もう少し緻密に計画しなければと思います。難しいですけど新社長決定直前がベスト
タイミングではありませんか。」

(以下、次回に続く)

  白川零次PROFILE

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1936年韓国ソウル生まれ。東京大学法学部
卒業後、三井金属鉱業株式会社入社。ロンドン
事務所長、福岡支店長、営業部長等を歴任。
1996年から執筆、講演活動に入る。著書に
『ビジネスマン読本 司馬遼太郎』『同 松本清張』
『同 城山三郎』『泥舟の宴』等多数。