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「大場特別顧問、月岡相談役でどうかね、高品君。相談役は取相(とうそう)ではない
としてね」
副社長室で俵と高品総務部長がA4用紙の上に名前を書いたり消したりしている。
「副社長、私は月岡社長のお言葉通りお二人は完全引退とする方が会長の御意に
沿うのではないかと思いますが。」
「いや君は甘い。お二人はああ言いながら本心は院政を引きたいのだし、そうするため
には会社にも時々顔を出せるようにしてやらないとね。……まあその点は後回しにする
として新体制の方を先に固めようか。俵社長───原田副社長という線は動かせ
ないんじゃないか。高品君。」
「副社長、私は反対です。折角副社長に組閣大命が降りたのですからここで長期政権を
狙うべきですよ。つまり原田専務は引退か、よくて相談役、それも取相(とうそう)で
なくてね。」
高品部長の手許の用紙は真っ黒になって来た。気がつくと外はネオンの明かりだけ
である。
「いや高品君、ここで原田専務を切るのはいかにもまずい。高品君の気持ちはあり
がたいが、私は当分彼を利用したいと思う。勿論大場会長のご威光が消える頃には
“はいさようなら”だけどね」
「副社長、私が口を挟むのは僣越ですが、この私自身の立場についてもよろしくお願い
しますよ。」
俵は思わず苦笑した。
「そうだね。いずれは高品副社長を約束するよ。俺は技術屋で経営全般にはうとい
ところがあるからね。総務屋の君に支えてもらえば鬼に金棒さ。そりゃあ原田さんだって
事務屋だがこれは話が違う。原田さんに全面支援を頼む気はさらさらないよ。」
俵副社長が発案した。
大場会長の意向を聞く前に月岡社長、原田専務の二人で新組閣の俵試案を検討して
欲しいと申し出たのだ。原田専務を加えたのは、俵なりに度量の大きいとところを見せる
べきだと判断したからである。
社長室でワープロされた俵試案が月岡社長と原田専務に示された。
大場相談役(非取締役) 月岡相談役(非取締役) 俵社長 原田副社長 跡部専務(現常務技術本部長) 常務取締役 川谷大阪支店長(現常務) 山田技術開発部長(現常務) 高品総務部長(現取締役の昇格) |
「原田専務はご不満かも知れませんが、私の方が一年先輩ということで、今回は先輩を
立てて頂ければとおもいます。」
一通り自案の説明を終えたあと、俵が原田に断った。でもその口調は当然ですよ、との
ニュアンスにも受け取れる。
「それから原田さんの腹心である大井戸君については、もう一年程、平取締役で辛抱して
もらって、次の段階で常務昇格という事を考えております。」
「原田専務、どうですかね。この副社長案は仲々よくまとまっていると思うんですが。」
月岡社長がずっと沈黙し続けている原田の口を開こうと促した。
「私を副社長にして頂いてありがとうございます。高品君は俵副社長とは別の考えでは
ありませんか。そう恐らく良くて取相、場合によってはお払い箱を彼は主張したでしょう。」
原田の大胆な発言に俵も負けていなかった。
「仲々お察しが早い。若手将校はいつもラジカルですからね。だけど私としては今回の
この機会に、我が社の派閥など一切なくして全社一丸となるべきと判断したんですよ。
派閥が叩き合いを始めたら永久に止まらない。仁義なき闘いに陥りますからね。」
月岡社長が大きくうなづきながら、俵副社長の意見を支持した。「派閥解消は絶対
断行して頂きたいですね。私も長年通産省でその派閥とやらに泣かされて来た。役所では
自分は派閥などいやだ、と言って中立を守ろうとしても、旗色を鮮明にしなければ両方の
派閥から袋叩きにあってしまう。その点、民間会社はそんないやらしい派閥などはないと
思っていたんだが、……どうですか、原田専務、この俵副社長案で会長のご意向を伺って
見ませんか。」
「社長、申し訳ありませんが、今日は副社長のご意見を承ったばっかりで、今すぐ自分の
意見を言えと言われても仲々まとまりません。ちょっとお時間をいただけませんか。」
「原田さん、ごもっともです。でも会長は遅くとも四月初めには引退記者会見をしたいと
言っておられます。それから考えると新体制は三月末には固めねばならないでしょう。
あと二週間ぐらいしかありません。それにこれはあなたがたの方がベテランだが、トップが
変われば部課長クラスまで含めて社内の大異動になるでしょう。今すぐにでもトップ人事を
決めるつもりでスケジュールを考えてもらいたいですね」
役人あがりだけに人事異動の流れに対する見方は鋭い。月岡社長の発言に原田専務は
“十分承知しております”とつけ加えるに止めた。
(以下、次回に続く)
白川零次PROFILE |
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1936年韓国ソウル生まれ。東京大学法学部 |