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常務会が終って立ち上がった時、資料もテーブルの上に撒き散らすほど放心状態の
俵副社長に、大場会長がついて来るよう目くばせした。
「いつだったか君に預ったこの手紙ねえ、俵君、わしゃ最近本当に目が悪くなってな。
この間思い出して虫眼鏡でよう見直してみたんだが、この……その振り出し会社の
阿川鋼機というのは大石建設の関係会社だね。こいつは僕には不要のものだから
君に返すよ。」
会長室に入るなり大場会長は内ポケットから例の小切手入りの茶封筒を取り出し、
俵副社長の手に一方的に押しつけた。気力をしっかり持ち直さなかったら、俵は
そこにしゃがみ込んでしまったかも知れない。
「しかし会長、今さら私がお預かりしても……どうしてよいか……。」
「それは君の考え一つだよ。大石側に返してもよいし、返さなくとも……。もっとも
どっちにしても最初に受け取ってしまったのが問題だったな。俵君。」
この時俵はまだ気づいていない。さきほどの常務会の以前に、大場会長と原田専務の
間で密談が交わされていたことを。
急に引退記者会見の繰り上げ、退職慰労金決定の延期、そして今、大石建設からの
一千万円小切手の返還、すべて大場・原田の間で阿吽の呼吸による密約がなされていた
ことを。
今日の常務会に先立つ三日前の日曜日、千葉県津田沼あたりも梅がぼつぼつ散りかけ、
そろそろ桜かといううららかな午後、原田専務は簡単な菓子折りを手みやげに突然
大場会長宅を訪れた。
大場会長が社長に就任する以前の二十年ぐらい前までは正月恒例の挨拶詣でで、何度か
この邸宅にも無礼講でやって来た。知恵子夫人と同じ齢ぐらいのお手伝いの泰子さんが
天手古舞で社員達の飲み食いの手配りをした。最初の頃は中学生か高校生かの早苗さんも、
客の前にたまには顔出ししていたが、関東女子大に入る頃からは見かけなくなっていた。
あれ以来殆どこの津田沼邸を訪れることもなくなった。たまに千葉方面へのゴルフの
帰りにちょっと立ち寄り、お茶をご馳走される程度である。恐らく三年に一回くらいの
機会だろうか。
知恵子夫人との初お目見えからは既に三十年は経っている。大場会長とは二つ違いだから
今年六十七歳のはずだ。
小さな池と築山と、三十坪程の芝生を眺める縁側でお手伝いの泰子が出してくれた
茶菓子で寛(くつろ)ぎながら、二人は二時間程談笑した。それは密談というよりは
本当に談笑というにふさわしい表面上はおだやかな会談だった。
「先週、山川地所のパーティーで波江取締役相談役にお会いして談笑いたしました。」
細かいことは一切出さずに、波江長老との邂逅だけを原田は強調した。
「ほう波江相談役にね。原田君、君は以前からの知り合いなの。」
「いやパーティーなどで名刺交換やら、山川ビルのエレベーターに偶然乗り合わせて
ご挨拶ぐらいはしておりましたが、ゆっくりご高説を拝聴したのはこの前が初めてです。」
大場は身を乗り出して明らかに強い関心を示した。
「大場会長のお話を波江長老に話しましたら、“君、もっと大場さんのことを聞かせて
くれよ”と引き止められましてね。パーティーの席だというのに、三十分いや小一時間
ぐらいでしたか大場会長のお話で持ち切りでした。相談役は途中からお疲れになって
“君あそこにかけて話そうよ”なんて言われましてね。」
「そうかそうか。昭和二十五年のいわゆる金石分離、つまり山川鉱業が財閥解体で
山川石炭と山川メタルに分離させられた際、波江さんのご指導を随分受けたよ。毎晩
十時十一時まで、あの山川ビル本館の五階と六階を上がったり降りたりしてね。忙し
かったけど楽しかったな。若かったし気力も充実していたよ。」
「会長、波江相談役は“ぜひ近いうち大場さんとじっくり話したいもんだ、財閥解体の
頃のことが解るのは大場さんぐらいだからな”ってしみじみおっしゃっていました。
……会長、今だって同じビルの五階と六階だからぜひお出かけ下さい。」
「解った。原田君そうするよ。でもね最近目の具合が益々悪くなってね、仲々動くのが
億劫になってな。波江相談役にもすっかりご無礼している。」
「相談役は会長の眼のことも大変心配されていました。君達が大場さんに苦労ばかり
かけてるんじゃないか、とたしなめられましてね。ああそれから眼の事なら山川記念病院
よりもっと進んでいる聖ニコラス医院の何とかという名医を紹介してあげたい、とも
言われてました。」
「相談役にそんなことまで心配して頂いて勿体ないことだ。」
「波江長老はおっしゃっていましたよ。大場さんはそろそろ引退するらしいが、わしゃ
九十歳まではがんばるんだってね。自分は老醜を曝(さら)すかも知れんが、大場さんは
流石に潔(いさぎよ)い、自分の方が色々教えてもらわねばならない、と言われて
いました。」
津田沼邸での談笑は殆どこれ以外なかった。まして退職慰労金とか叙勲とか、生々しい
話は一片も出なかった。
原田はこれだけで十分大場の気持ち掴んだと確信した。
だから三日後の常務会でどういう狙いからか、俵副社長が会長の退職慰労金の話を
公(おおやけ)に持ち出した際、原田は内心しめたと思い、この好機にこそ伝家の
宝刀の片鱗を見せてやろうと心に決めたのだ。
ただ津田沼邸訪問のこの日、大場夫人がたった一度帰り際にちょっとだけしか顔を
出さなかったのが原田の胸に妙な痼(しこり)を残した。
別れ際知恵子夫人は
「昔は良かったわね。原田さん。奥さんに宜しくね。大切になさらなきゃだめですよ。」
若い頃から変わらぬスリムな姿体に、凛(りん)とした表情を見せて、彼女はしんみり
原田に言った。
“もしかしてこの夫婦はうまく行っていないのではないか”とさえ思わせる夫人の
淋し気な風情だった。だがきっと主人、即ち大場均の緑内症の進行を悩んでのことだろう、
と原田は思って、悪い妄想を断ち切った。
(以下、次回に続く)
白川零次PROFILE |
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1936年韓国ソウル生まれ。東京大学法学部 |