「霧の波紋」(27)                 白川零次著

第七章 逆転判決

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 三月二十二日の会長社長の引退記者会見、それ自体は円滑に進められた。さすがに
五大新聞の経済記者だからか、会長の退職慰労金
について質問を出すようなお行儀の
悪い記者は一人もいなかった。

 ところがこの記者会見が別の意味で、山川メタル社内に衝撃的ニュースとなった。
 その当日の朝、突然月岡社長室によばれた原田専務は、そこに大場会長も座って
いるのを見て“いよいよか”と胸に沸き上がるもの
を感じた。
「原田専務、午後の記者会見にあなたも同席して下さい。その場で後継社長にあなたを
指名したい。」

 月岡社長がいつもの冷静な声で言った。極めて事務的な言い方である。
「社長、それはあまり突然過ぎて……まだ社内の誰もが知らないのではありませんか。」
 一応形式上辞退しょうとする原田に対して、大場会長が徐(おもむろ)に
宣(のたまわ)っ
た。
「心配はいらん。山川グループの総意はとってある。」
 “総意とは山川地所の波江相談役の同意ということだな”と原田は直感した。
 午後の記者会見が始まる前に、このニュースは山川メタルの社内を駆け巡った。
 俵副社長は一昨日の臨時常務会のあとで大場会長から大石建設の一千万円小切手を
つっ返された時、既に今日の敗北を十分予知して
いた。完敗である。
 これからさき原田専務に対して哀願スタイルで行くか、それとも開き直るか、休日で
あった昨日一日中、考えに考え抜いた。

 夕飯も書斎にこもったままウイスキーを飲み続けている俵文四郎に妻の美津子は
寄りつかなかった。夫の後姿に鬼気迫るものを感じ
たのだ。
 彼等夫婦にはもう孫が二人いる。一人娘の梓(あずさ)が結婚して家を出てから
もう五年、夫婦二人切りの生活だ。

 夜の八時過ぎになって、美津子が晩のお惣菜をお盆に乗せて書斎机の上に置いた。
「あなた、無理しなくてもよいのよ。」
 美津子の言葉にはっと振り返った俵は急に笑顔になって、
「おうもうこんな時間か。ちょっと飲み過ぎたかな。ああ腹減った、腹減った、グッド
タイミングだ」

 とおどけて美津子に言った。
 “無理をしないで”ではなく“無理をしなくてもよいのよ”と言う妻の言葉に長い
夫婦生活を俵は実感した。“無理すまい”よし”開
き直りだ”。一日中考え悩んだ
結末が妻の一言で一遍に氷解した。

 大石建設の小切手一千五百万円は、いつの日か美津子へのプレゼントにしょう。
今更、高品部長に渡した三百万円も含めて総額一千
八百万円を大石建設に返す、
と言っても大石側はそらっとぼけるに
違いない。
 それに土地の方は山銀の厚木に持って行かれたが、新工場建設のゼネコンは大石
建設に決定したのだから、自分が一千五百万円ぐら
い頂いても文句はあるまい。
 大場会長が後継社長を原田専務に決めたのは、恐らく規定の退職慰労金四億円を
原田ならうまく波紋を立たせずに株主総会を通すで
あろうと判断したからだ、と俵は
思った。そうすれば大石建設から
の一千万円は大場にとって小銭にであるし、小銭で
ある以上に四億
円に災いを及ぼしかねない。勿論ばれれば叙勲問題にも大いなる障
となる。だからあの小切手を自分につっ返したのだろう。

 俵文四郎がそう考えた時、タイミング良く妻の美津子が書斎に入って来たのだ。
“もう俺には失うものはなにもないのだ”たとえ首
になっても退職慰労金を頂いて
会社とはハイ、サヨナラだ。俵は完
全に開き直った。

 平成九年度三月期の山川メタルの決算見込みは、年度後半の円安基調もあって
地金価格が高騰し、単年度黒字、いわゆる“単クロ”
に転じた。それが会長社長
引退幕引きの花ともなった。気を良くし
た大場会長は“自分達が引退して我が社の
首脳陣は大幅に若返るが、
原田社長のもと、さらに思い切った若返りの人事を期待
している”
と記者団に表明した。
 大場会長がそこまで突っ込んだ声明を発表するとは原田も考えていなかった。
よし、ならば大場発言を大いに利用しよう。つまり
“若返り”を自分の新組閣人事の
目玉にしよう、と原田は秘かに決
意した。

(以下、次回に続く)

  白川零次PROFILE

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1936年韓国ソウル生まれ。東京大学法学部
卒業後、三井金属鉱業株式会社入社。ロンドン
事務所長、福岡支店長、営業部長等を歴任。
1996年から執筆、講演活動に入る。著書に
『ビジネスマン読本 司馬遼太郎』『同 松本清張』
『同 城山三郎』『泥舟の宴』等多数。