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記者会見が終わって上機嫌の大場は原田の肩を叩きながら“原田内閣人事を楽しみに
しているよ”といって会長室に消えた。
専務室に帰って来た原田はすぐデスクに座った。考えるべき事が山程ある。だか、
とにかく会長から言われたように焦眉の急務は組閣人事だ。
原田はふと誰と相談すべきか迷った。素直に考えれば腹心の大井戸営業本部長を
参謀格に据えるべきだろう。
だが原田の胸の内には極めてドラスティックな組閣構想が描かれていた。
原田派閥の二大股肱(ここう)である大井戸と吉池人事本部長、この二人とも泣いて
馬謖(ばしょく)を切ろう、というのである。
今年の一月福岡の自殺事件を総会屋草加巌雄に嗅ぎつけられ時、大場会長の機嫌を
取り戻したい一心で“大井戸も吉池もぶった切ります”と思わず口走ってしまった。
だが今となっては綸言(りんげん)汗の如し、
“あの二人の首は撤回します”とは言い出しにくい。
“それに”と原田はさらに考えを巡らせていた。
大井戸は確かに頭の切れが鋭い。大場会長の退職慰労金を“弔慰金など”に含める
アイディアも大井戸の発案だ。実質的にあのアイディアのひらめきで、原田は大場
会長から後継社長のお墨付きを貰ったとさえいえよう。
大井戸は戦乱時代には有能で緻密な参謀だが、自分が天下を取ってしまった今、
あのようなカミソリ参謀が果して必要か、いやそれどころか却って危険な存在になる
恐れだってあるのではないか。
その考えに到達した時、原田の頭の中の漠然とした組閣構図が極めてクリアな形と
なって現れた。
原田社長―――副社長不在―――跡部専務(現技術担当常務)二人の現常務留任。
そして平取締役のうち大井戸、吉池、高品の三人を退任させ、二人の新取締役を昇格
させる。結局現会長・社長・副社長の退任を含めると全取締役で六人退任、二人昇格で
差引四人の取締役減だ。会社自体のリストラ方針にもぴったりの役員減量人事となる。
原田としては自分の作った組閣案に十分自信が持てた。ただしこの新組閣人事を
社内でどのようにオーソライズさせ、そして対外発表するか、原田には次の難問が
控えていた。
もっとも簡便にして、しかも権威のある発表方式は大場現会長のオーソリゼーションを
取ることだ。
しかし原田の胸中には大場会長に対する別の思惑があった。
その一つは原田組閣人事について、大場の容喙(ようかい)を完全に排除するという
ことである。そのためには原田私案を自分で直接大場のところに持って行かないほうが
よい。それではお伺いをたてる形になるからだ。やはり誰か使いを立てるべきだ。
そして原田の胸中にはもう一つ、大きな陰謀があった。
それは大場会長の退職慰労金の問題である。原田としては株主総会と取締役会を一旦
内規通りに承認させる。そこまでは大井戸のアイデア通りに進めよう。だが問題はその
あとだ。
叙勲とのかね合いである。つまり叙勲申請を武器に一旦承認させた退職慰労金を
大場の方から辞退させようと考えたのだ。
勿論大場が叙勲申請と引換条件に、四億円もの退職金をあっさり諦めるとは考えにくい。
原田の頭の中には山川コンツェルンの長老波江相談役の顔が浮かんでいた。あの長老を
動かすのだ。“経営上多難な山川メタルの窮状を救うため、退職慰労金を辞退せよ、
さすれば勲一等につき波江から政府に口添してやろう”そう言わせるのだ。そのような
シナリオが原田の頭の中にしっかりと描かれた。このシナリオ演出のためにも現在の
大場とは一歩距離を置いておきたい。
なぜそこまで原田は大場会長に対してシビアな陰謀を抱いたのか。
大場が退職慰労金を辞退すれば、月岡社長と俵副社長も辞退せざるを得ない立場に
追い込む事が出来る。そうすれば五億円強という退職金を浮かすことになる。
原田新社長は仲々やるな、五億円強の経費節減もさる事ながら、大場会長に退職金を
辞退させるという快挙をやってのけた!、と社員達の原田新社長に対する見方が一変
するだろう。十六年間も続いた大場政権の名残りを一日にして消し去り、原田新政権の
存在感が一挙に浮上することになろう。それが原田の心奥に秘めた大いなる陰謀で
あった。
自分の組閣人事を直接大場会長と話し合いたくはない。それでは誰をその伝書鳩に
するか。この点でも確かに大井戸営業本部長が最適役である。だが“お前を首にする
俺の人事案を会長に見せて来てくれ”とは原田としても言い出し難い。
色々と考えた末、原田の頭にまたまたひらめくものがあった。改めて空欄になって
いる二人の新任取締役の枠をじっくりと眺めた。
そしてその一個の空欄に浜野五郎と書き込んだ。書き終わってしばらく考え込んだ後
原田は、秘書室長の呼び出しベルを押した。
秘書室長の浜野五郎は高校卒である。コツコツとここまで這い上がって来た。高校卒の
取締役は山川メタルにとって初の人材起用となる。原田新体制の目玉にもなるだろう。
地味な存在でこれといった実績も実力もないが、浜野はどの重役にも受けが良く、癖の
強い役員達の気性を十分承知して秘書役を大過なくつとめて来た。大場会長の使い走りも
浜野なら率なくこなすに違いない。
原田専務に呼ばれた浜野秘書室長は、原田が手許で鉛筆書きしている新役員一覧表に
自分の名前を見つけて絶句した。
「浜野さん。私はこれがベストと思うんですがね。何分にも大親分が首を縦に振って
もらわないと。そこで申し訳ないがあなたから会長にそれとなく見せてやってくれない
かな。」
「畏まりました。でも専務がすぐあとで説明頂けるんでしょうね。」
「勿論ですよ。」
原田と浜野は五十八歳の同年齢である。だが浜野が高卒である上に、原田は二年浪人
したので、入社年次から言えば浜野の方が六年先輩ということになる。原田はいつも
浜野には“さん”づけで呼んでいる。
(以下、次回に続く)
白川零次PROFILE |
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1936年韓国ソウル生まれ。東京大学法学部 |