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六月末の株主総会に向かって五月中旬から山川メタルでは何度か、リハーサルが
繰り返される。やがて取締役総務部長となる浜野五郎が仕切ることになるが、今回の
総会まで建前上、退任予定の高品総務部長が進行係となっている。その高品を含めて、
やはり思いもかけず退任を強いられてしまった大井戸営業本部長と吉池人事本部長の
両取締役も、表面上は波風立たせずにリハーサルを忠実に演じている。
取締役退任の高品と吉池は会社側の斡旋で、山川メタルの取引先への再就職が
決まった。資本金二百六十億円の山川メタルから、同じ取締役という肩書であるが、
それぞれ資本金五千万円と三千万円の中小問屋への“天下り”である。収入は恐らく
半減どころか四割以下になるだろう。
大井戸だけは会社の斡旋を拒否している。拒否という強い姿勢ではないが、お見合い
相手を次々と断るような形で斡旋先に対して仲々首を縦にふらない。
五月も終わり近くなって連日のように山川メタル社内に怪文書が飛び交うように
なった。いずれも無記名か、あるいは「暗黒大使」とか「首切り康」など劇画調の
怪名でワープロされて、新社長である原田を批判したり、揶揄(やゆ)しているもの
ばかりである。
六月の中旬になると総会のリハーサルも熱を帯び、内容もより具体的になって来た。
もっとも毎年最大の話題となる新旧取締役人事が、既に四月初め新聞発表されてしまって
いるので、取締役達の最大の関心事はいわゆる“第三号議案”だけに絞られている。
六月十日過ぎの取締役会で、月岡社長がこの第三号議案について常務会としての見解の
案文を発表し、これに原田専務が短かいコメントを付け加えた。
「ここにおける“弔慰金など”のなどという処にポイントがあるわけで、会長以下
退任取締役の退職慰労金を含むと内々で解釈するのであります。株主総会では社員
株主を前の席に坐らせて、社長のご発言が終わったらすぐ“異議なし”を連発させます。
良いですな皆さん。」
このアイディアを原田専務に進言した大井戸営業本部長も今はまだ現取締役として、
原田の話を表面上は神妙に聞いている。原田はその大井戸に一瞥もくれなかった。
やはり原田新体制から除外されて首になった俵副社長は、原田の話には無関心かの
ようにあらぬ方向にぼんやりと目を向けていた。
俵は会社側の勧めをはっきりと拒絶して、
企業人からの完全引退をほのめかしている。
この“弔慰金など”の案が取締役会で決定されたその日を限りに怪文書の数が激減した。
退任取締役が自分も退職慰労金を受け取れるということがほぼ確実になったからだ。
ここであえて原田新社長に逆らえば、自らの退職金に不利だと判断したからだろう。
だが一般社員の反応は逆だった。怪文書の激減は大場会長への退職慰労金の支給が
正規に内定したからだ、という事を社員誰しも察知した。
何の功績もないどころか、仲間を次々と首切って来た、いや明日は我身かも知れない、
そのような非情な経営者が自分はのうのうと四億円強の退職慰労金を懐に入れるのか、
持って行き場のない社員達の鬱憤が緩和な月岡社長に集中攻撃を掛けた。毎日五人十人と
威勢の良い部課長クラスが社長室に押しかける。
中に立つ浜野秘書室長はその都度右往左往して原田専務室に駆け込んで来た。原田自身の
ところへも時々直接若手連中が押しかける。
だが、原田は社員達に騒ぐだけ騒がせた。そうすれば大場会長も済まし顔で退職慰労金を
受け取るわけには行かなくなるだろう。一旦“支給するぞ”と言っておいて大場の方から
それを辞退させる。この原田シナリオを完結させるために、社員達の批難騒動は恰好の
前奏曲なのだ。“これはうまく行くぞ”、原田は内心北叟笑んでいた。
(以下、次回に続く)
白川零次PROFILE |
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1936年韓国ソウル生まれ。東京大学法学部 |