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六月二十八日上場企業の九十五パーセント、千数百社が午前十時、一斉に株主総会を
開く。総会屋を分散させるわけだが、そういう慣例の最大の受益者は山川メタルのような
貧乏企業だろう。ゆすってもうま味がない企業など総会屋が相手にするはずもないからだ。
今年も山川メタル総会はシャンシャンシャンの二十分間で終了した。最重要問題である
第三号議案“弔慰金など”の通過時間は何とわずかに十秒間だった。福岡支店の自殺事件は、
総会の予想質問として回答のリハーサルを繰り返し演習していたが、一言も出されることが
なく取締役全員、拍子抜けの有り様であった。
総会後初の取締役会が山川ビル役員談話室で開催される。最初、新旧取締役全員が一堂に
会するが、お互い儀礼上の挨拶を交わしたあと数分後には、大場会長以下退任取締役六人が
退室するのが慣例だ。
旧取締役の退室後、新取締役会が新社長である原田康雄の司会で進行する。開口一番原田は
予定された議題をまったく無視して、次の点について強調した。
「株主総会第三号議案に基づいて、退任取締役の退職慰労金をこの取締役会に一任され
ましたが、私の所見を申し述べます。退職慰労金については確かに我が社ははっきりした
内規を持っています。そしてその内規に従えば各退任取締役の退職慰労金の計算は単純に
出来ます。ただこの内規には、その計算方式の次の項に但し書きがついている。即ち
“諸般の情勢を考慮して前記算定額を増減することが出来る”。とあります。
退任された前取締役の皆さんは、我々の先達として思慮深い方ばかりです。諸般の情勢、
すなわち我が社の今立たされている経営上の苦境は十分認識頂いているはずです。この
“諸般の情勢において増減”という但し書きの趣旨については、社長の私にご一任いただけ
ないでしょうか。」
「異議なし。」
応援団長の怒鳴り声を彷彿とさせるような浜野新取締役のどら声が響いた。同時に出席者
全員が一斉に”異議なし”と同調した。
大場会長の退職慰労金辞退、この新たなシナリオに向かって順調なすべり出しだった。
原田はさらに念を押すべく社長就任挨拶という名目でビル一階下の山川地所役員室を
訪れた。地所の社長にお定(き)まりの挨拶を済ませたあと、原田は波江相談役室を訪れた。
この部屋がかつて昭和七年山川合名総理事長が右翼の襲撃を受けたあと一時避難した部屋
そのものである。一時避難の数十分後病院に運ばれる途中、その山川コンツェルンの総帥は
息を引き取った。
波江相談役は山川地所の取締役会後のビールが少し回ったのか、小柄な身体に小さな顔が
真赤に染まっている。
「ようよう、原田新社長、総会は無事終わりましたか。」
「相談役のご教訓を拝聴しておりましたので、万事円滑に進みました。」
「それはそれは。で大場会長は予定通り退任されたわけだな。」
「さようでございます。そのあとの取締役会で大場の退職慰労金は不肖私が預かることに
なりまして……。」
「うん、何か私で出来ることがあるのかな。」
今までのんびりした表情で聞いていた波江長老の眼が一瞬きらりと光った。
「山川メタルは何分にもまだ大幅な累積赤字を抱えておりますし、リストラの特別退職金も
嵩(かさ)みまして仲々苦しいところでございます。」
波江相談役にずばりお願いしょうかという思いが瞬間原田の頭を横切った。“大場に
退職慰労金を辞退させてほしい。と波江相談役から直接圧力をかけてもらえまいか。”
原田がその本音を言い出すべきかどうしょうか迷っているうちに、波江の方から口を
開いた。
「大場さんは来年七十歳になると言ってたな。勲章もらってもおかしくない年齢ですな。
原田さん。まあここは、この年寄りに任せてみませんか。」
「はっ、こんな私共の内輪の事で大先達のお手を煩わしては……。」
原田は表面上は恐縮し切った表情を示しながら、内心面白い方向に進んだことに胸を
小躍りさせた。
「いやいや、こういう怪し気な話は年寄り同士、わりと話が通じるもんじゃよ。」
波江相談役は期するところがあるのか、自分自身に言い聞かせるように呟(つぶや)
いた。
(以下、次回に続く)
白川零次PROFILE |
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1936年韓国ソウル生まれ。東京大学法学部 |