(3)
新しい取締役全員揃って恒例のゴルフ大会が開催され、原田新社長は珍しく百を
切った。仕事もゴルフもなにもかも順調だ。
七月中葉の天気の良い朝、漸く社長になった実感をもって秘書に鞄を持たせながら
社長室に入った。梅雨が明けたのか四方の窓に夏の日射しがまぶしい。
毎週の常務会だけでなくこれまで何度も出入りしたことのある部屋だが、これが
我が社長室だと思うと原田は改めて感慨一入(ひとしお)だった。
広い部屋を一通り眺め回していると秘書が“大場前会長からお電話です”と伝えて
来た。何かとてつもなく大きな予感で原田の胸は高鳴った。
受話器を取り上げて飛び込んできた大場の野太い声は原田の予感通り、
「退職慰労金を辞退したい。」
という短い一言だったのである。決して“減額”とか“支払延期”とかいう細かい
話ではなかった。“全額辞退”を覚悟した声の響きだと原田は受け取った。
山川地所の波江長老が説得した結果に相違ない。原田はそう確信した。
大場は言葉少なに、
「あとのことはぜひとも宜しくお願いしたい。」
と抽象的な文句だけをつけ加えた。
“叙勲申請”のことを言ってるのだろう。
「微力ながら大場先達のため出来るだけのことをさせて頂きます。」
原田も“叙勲申請”という言葉をあからさまには出さなかった。大人同士、具体的に
出さなくとも、阿吽の呼吸で解るはず、と大場に思わせたかった反面、大場の叙勲に
ついてはうまく行かないのではないかとの思惑もあったからである。少なくとも去年の
大同製煉の阿部会長の勲一等は各方面から不評を買った。大場が叙勲を受けるとしたら
阿部会長の場合より以上に、社内やマスコミに波紋を投じることになろう。
大場との電話を終わった原田は、早速山川地所の波江相談役室に報告に出向いた。
「あ、そうかね。大場さんはやはり勲章の方が似合っているようだな。」
波江もまた大人同士阿吽の呼吸で原田の話を的確に捉えたようだ。
大場が退職慰労金を辞退したとなれば、次は月岡社長と俵副社長の辞退説得だ。恐らく
それは問題なかろう。原田はそう考えながらビルを一階上がって自分の社長室に戻った。
(以下、次回に続く)
白川零次PROFILE |
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1936年韓国ソウル生まれ。東京大学法学部 |