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「キャビアはいかがでしょうか、大場様。」
相変わらず日本酒のグラスを握りしめている大場に、スチュアーデスがワゴンで
近づいて来た。
「ありがとう。」
サービスを受けながら、大場の頭の中から、最後の野望である勲章への執念が
離れない。
“叙勲は本当にうまく行くだろうか。波江長老のご神託に従って、四億円もの退職
慰労金を辞退した、娘の追悼旅行も無事終った。ところが原田新社長は自殺社員の
訴訟を公(おおやけ)の場で、受けて立つという。そうなればこれまでの違法行為や
スキャンダルがすべて明からさまになる恐れがあるではないか。山本弁護士はその
あたりどう捌(さば)くつもりか。”
考えれば考えるほど、じっとしていられない気持に大場は陥った。だが結局、
これしかない、これ以外に妙案はない、自分に言い聞かせるように考えをまとめて
いた。
“あの波江相談役にぶつかるのだ。波江長老から原田に言い聞かせてもらおう。
何もかも公にしてしまって、山川グループの恥になるようなことはやるなと。
訴訟は取り下げて穏便に示談で済ませよと。場合によっては波江長老に土下座して
頼みこもう。原田も波江長老に逆らうわけには行くまい。”
原田に直接、怒鳴り込む事も考えたが、大人気ない感じがするし、成功させる
自信もない。まして、原田の前で跪(ひざまず)くようなまねは絶対にしたくない。
それにしても後継社長に取り立ててやったあの原田という若僧にしてやられた!
大場の酒が苦味を増した時、スチュアーデスが最後の食事の準備をし始めた。
あと四時間程で成田到着である。ファーストクラスの乗客は大場夫妻を除いて
外には、企業幹部らしい二人と、テレビで良く見かける女性タレントの合計五人
しかいない。
「そろそろ食事のようだな。」
そうだ、波江長老に頼みこむのだ、という自らの思いつきで、ようやく安心感と
満足感を抱いた大場は、呟(つぶや)くように隣の席の知恵子に声をかけた。
さっきから窓の方ばかり向いて殆ど動かなかった妻の知恵子が、むっくりと
起き上がって大場の方に向き直った。
「あなた、私達離婚しましょう。」
気負いもなく、かと言って冷たくもなく、いつものゆっくりとした調子で
知恵子が話かけるように大場の方を向いて言った。
一瞬、大場は言葉の意味を理解し得なかった。“黙れ! なにを寝呆けた
ことを言っとるか!”
家の中だったら、恐らく大場は雷を落としただろう。だがここは機内、しかも
ファーストクラスで、ほかに三人の紳士淑女の乗客がいるのだ。
「ほう、何でまたそんな冗談をこんなところで言い出すのかね」
ジョークだとみなして、大場は軽い調子で受け流そうとした。だがいつもと
知恵子の雰囲気が違う。大場から眼をそらさないのだ。いつもなら“黙れ”の
最初の一喝で、すごすごと隣の部屋に逃げ出す知恵子だった。だが今の彼女は
黙ったまま大場を見据えている。
スチュアーデスが飲み物とオードブルをワゴンで運んできた。“離婚”を言い
出した知恵子は何事もなかったように、赤ワインを注文した。だが、これもまた
大場にとって結婚以来初めて聞く妻のアルコールオーダーである。大場の胸に
不吉な予感が募った。
昨夜九時ロンドン北部のハイゲイトという町に、夫妻と甥の三人が夫々花束を
持って出向いた。周辺の住民にはカール・マルクスの墓がある街として知られて
いる。
七年前その町の坂道でガードレールを突き破った早苗の車が二十米下の崖下に
落ちて大破、早苗は即死だった。
ロンドンの夜霧は世界的に有名である。早苗が事故を起こした二月初旬は特に
濃霧が発生し易い季節だ。
昨夜、九月中旬の爽やかな時期とは言え、事故現場一帯はやはり薄い靄(もや)が
かかっていた。マズウエルヒルという小高い丘の街につながるこのハイゲイト
ロードの坂道は、夜中、視界が完全に透き通ることは極めて稀である。
そのハイゲイトロードの右手下、雑木林を通して見えるハイウエイは、クロム
イエローの街灯が滲むように光っていた。“夜霧の中では白色より黄色の方が
映(は)え易いという長年の知恵があるのですよ”と甥が車の中で説明した。
早苗の死亡事故を知らされた七年前のあの時も、知恵子はその甥の達三を
案内役にしてここへやって来た。
現場担当警察に出向いた知恵子は事故の状況を聞いた。“これはミス早苗大場
(さなえおおば)の不幸だが単純な事故だから、新聞に出ることはないでしょう。
勿論警察として新聞社に話すつもりはありません”
という警察官の話を達三が通訳してくれた。
知恵子はその話に安堵感を覚えて早苗を荼毘に付して帰国した。が、しばらく
して日本のマスコミが騒ぎ始めた。
最初のうちは、事故現場に駆けつけなかった大場均社長に対して、仕事一途の
猛烈経営者と褒めそやす一方、あの社長は仕事の鬼、冷酷無比な父親だと批判する
記事が相半ばした。
そして、やがて業界紙や芸能情報誌までが死んだ早苗の情報を追いかけ回し、
冷酷な父親であるという批判記事の部分を面白おかしく広げ始めて、とんでもない
憶測記事にまで発展して行った。
いわく、娘の事故をあの父親は隠し通そうとした、あれは単純な事故ではない、
娘には男がいた、その男に会いに行く途中の事故だったというような類いの興味
本意の記事だ。さらには、娘は男と同乗していて無理心中を計ったらしい、などと
とんでもない尾鰭記事が週刊誌を賑わせた。
大場均自身の毀誉褒貶ならば許せる、いやそれは自業自得だと思っていた知恵子
だったが、早苗を中傷する記事には耐え難かった。自分が甥と現場警察官に
はっきりと確認したのである。無理心中なんてとんでもない話だ。
知恵子はこの時ばかりは大場に対して、このような中傷記事は早苗の名誉に関わる
ことだから絶対に抗議してほしいと泣きながら頼んだ。
ところが、
「今、事を荒立てたら奴等インチキマスコミの思う壺にはまるだけだ。」
と言って大場は取り合わなかった。
結局真相は藪の中、人の噂も七十五日といわれる、自然に立ち消えとなるまでの
数ヶ月間、知恵子は針の筵に座らせられる思いの日々を過ごした。
(以下、次回に続く)
白川零次PROFILE |
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1936年韓国ソウル生まれ。東京大学法学部 |