「史劇に学ぶ」 白川零次著
第十二回 酒は百薬の長か
(前回からの続き)
西暦23年、”王もう”は昆陽(こんよう)の戦いに敗れて失脚。その後、
自ら宣(のたまわ)った”百薬の長”である酒に溺れ、「周礼(しゅうらい)」に
あやかって厄除けの奇跡をひたすら待ったが、ついには全身を切り
刻まれて最期を遂げた。
「百薬の長」、「嘉会(かかい)の好(こう)」(宴(うたげ)の華(はな)」であるうちは、
酒もまだ救われるだろう。しかし我が国には酒が
「百薬の長」どころか「百毒の長」と喝破した文人がいる。
今から650年前の鎌倉末期、吉田兼好(けんこう)は「徒然草
(つれづれぐさ)」にこう書いている。
酒は百薬の長とはいえ、よろずの病は酒よりこそ起れ、憂を忘れる
といえど酔いたる人ぞ過ぎしうさをも思い出でて泣くめる」
美空ひばりの「悲しい酒」は悲し過ぎるということか。兼好のような
文学的表現は別として、胃潰瘍、肝硬変、アル中といった”よろずの病”
まで行きつくと、確かに酒は”百毒の長”となろう。酒はほどほどにと言うべきか。
ところがほどほどか否か、その量にかかわらず、酒は百毒どころか千毒、
億毒になる狂乱性を発揮することがある。
「タダ酒を飲むな」
昭和29年、京都大学卒業式での滝川幸辰総長訓辞である。ちょうど
大学受験勉強中であった筆者は、新聞の見出しでこの警句を読んだ時、
総合大学の卒業式訓辞にしては、やや通俗的かな、というのが率直な
感想だった。
あれからおよそ半世紀、今になって通俗的と受け取った当時の自分が、
いかに軽率であったか、思い知らされる今日この頃である。
タダ酒という毒薬あるいは麻薬を媒体にして、人は自分の立場を奴隷にもし、
逆に暴君にもすることができる。
中にはそういう毒薬を飲み、また飲ませることが、国家や会社への利益貢献
になる、それこそ忠誠心の現われではないかと勘違いする輩(やから)がいる。
その傾向はしがないサラリーマンより高級官僚や経営幹部に多く見かけるようだ。
タダ酒をいかに多く飲ませ、見返りにいかに多くの要求を飲ませるかが、出世の
鍵だと発破をかける社長さんさえいる。
表面は慇懃(いんぎん)に、内心は精一杯の侮蔑(ぶべつ)をひめて、一滴でも
多くの酒をそそぎ、やがて暴言となって徐(おもむろ)に奴隷としての義務を
押しつけるのだ。
過剰接待づけの高級官僚は、はたして自分が奴隷扱いされていると認識
しているだろうか。むしろ平伏して貢物(みつぎもの)を捧げる民間奴隷共を、
睥睨(へいげい)する暴君の気分に浸っているのではないか。
然り、暴君と奴隷は裏腹の存在なのだ。どちらにも自由な交流、自由な
発想ではない。癒着(ゆちゃく)という名の相互隷属関係があるのみである。
タダ酒の洪水によって、我が国は今や、奴隷社会に成り下がってしまった。
そうなってはならない。半世紀前、エリート学生達の門出に、「タダ酒を飲むな」と
警鐘を鳴らした滝川総長の信念と卓見に改めて敬意を表したい。
(「史劇に学ぶ」のシリーズは終了しています。)
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