「神戸の本棚」                 植村達男著

第十回 陳舜臣の文庫本・新書


  先日、家の中を整理して、押入れの中に文庫本と新書を収納する
場所をつくった。文庫本は日本文学と外国文学に分け、日本文学に
ついては作者の50音順に並べた。外国文学は冊数が多くないので、
中身は順不同にしてある。新書についてはシリーズ別(岩波、中公、
講談社等)に並べ、その中は同じく順不同である。ただし、例外的に
岩波新書の青版・黄版は区別してある。
  ところで、この押入れの中の書棚(?)に、陳舜臣の作品が7冊ある。
  一、『青雲の軸』(昭和49年 旺文社文庫)
  二、『他人の鍵』(昭和52年 文春文庫)
  三、『虹の舞台』(昭和52年 角川文庫)
  四、『六甲山心中』(昭和52年 中公文庫)
  五、『弓の部屋』(昭和56年 講談社文庫)
  六、『神戸というまち』(昭和40年 至誠社新書)
  七、『実録阿片戦争』(昭和46年 中公新書)
  一から五が文庫本。六、七が新書版の本である。また、七以外は
すべて神戸を題材にしたものである。七については、昭和45年1月に
香港を旅行してから暫くの間、香港に関する本
(例えば岩波新書の
『香港の水上居民』、新潮社のノンフィクション・ノベル『香港の水』)を買ったことがあり、
そのころ購入したものである。
  一の『青雲の軸』はもともと昭和40年代の中端に受験雑誌「蛍雪時代」に
連載された作品である。主人公は陳俊仁となっているけれども、これは
まさに陳舜臣の自伝小説である。ここに描かれている時代は戦前から
戦中で、著者の年齢でいうと、物心ついてから21歳までである。特に
印象深いのは、子供のころ、見知らぬ日本人の少年から「やい、おまえ
シナやろ?」(中略)「シナは負けたんやぞ。早よ、おまえらシナへ帰って
しまえ!」といわれた場面。そして、俊仁の祖父が植木市をのぞいていた
ところ、植木屋が「こらあ!ここはチャンコロの来るところやないぞ。なんぼ
カネ出したかて、わいら、チャンコロには売らへんのやから。早よ
去にやがれ!」とどなられた場面などである。
  私は昭和30年9月に東京世田谷から神戸の中学校へ転校した。前の
中学とはちがってこの中学には何人かの中国人・韓国人の生徒がいた。
また、高校にいってからも同様であった。少なくとも、私が見聞した範囲では、
陳俊人が体験したような、いまわしい場面に出会うことはなかった。さすが
港町神戸だと思っていたのだったが、『青雲の軸』のいくつかの場面を読んで、
胸が痛む思いがした。戦後はともかく、戦前は神戸といえども、外国人にとって
あまり住みよい町ではなかったのだろう。私は、ふと高校時代に1年間だけ
所属していた軟式庭球部の友人陳光華のことを思い出した。陳とはなんとなく
ウマが合った。私は阪急電車の西灘−御影間の定期券を持っているに
かかわらず、王子動物園の前から石屋川行の市電に乗り、将軍通りの
停留所(陳君の家はこの辺にあった)まで陳といっしょに帰ったことが
何回かあった。市電の終点の石屋川から私の家までは15分もあれば
歩いて帰れたのである。
  少々脱線したが、陳舜臣の本の二〜五は推理小説である。
  『六甲山心中』については、昨年2月鎌倉の長谷駅の近くの古本屋で
単行本をみつけ、買おうと思ったのであるが、他に荷物もあり重たいので
買わなかった。その時は『六甲山心中』が文庫本になっていることは知らな
かったので、あとから文庫本を見つけて、思わず「シメタ」と思った。4冊の
推理小説で一番面白かったのは、二の『他人の鍵』である。ヒロインの
織雅
(おりが)という白系ロシア人と日本人の混血娘がなかなかうまく
描けている。
  五の『弓の部屋』(講談社文庫)についてはカバーのことをいいたい。
このカバーの絵を描いた画家は不勉強である。少なくとも作品を
よく読んだうえ、北野町や山本通りあたりの異人館の写真集でもみてから
とりかかれば、こんな趣味の悪い、つまらない絵を描くことはなかったろう。
これではせっかくの陳舜臣の作品が泣く。ついでながら、最近の講談社で
もう1冊ヒドイ本があった。咲村観『再建』である。経済小説と銘打っては
いるものの、新聞・雑誌の切りぬきの固有名詞を架名と入れ替えて、
貧困な発想と手垢のついた月並みな表現の文章でつなぎあわせた作品
である。おまけに米国のタフト・ハートレー法(労働法)を独占禁止法などと
説明している杜撰きわまりない本である。
  最後に、六の『神戸というまち』は、私の座右の書で、時々あちこちを
拾い読みする。最近では異人館旧ハンター氏邸のことを調べる必要があり、
この本の該当ページを読んだばかりである。この『神戸というまち』は
装を改め、このほど平凡社より、『神戸ものがたり』として出版された
(昭和56年6月16日付)。
(次回は「啄木と神戸を結ぶ一冊の本」を予定しています)

この原稿は、(株)勁草書房が出版した「神戸の本棚」(1986年10月5日第1版)に発表されたものを再掲示させて頂いたものです。

 植村達男PROFILE

1941年鎌倉市生まれ。1964年神戸大学経済学部卒業、
住友海上火災保険(株)入社。自動車業務部次長、情報センター長
著書に『時間創造の達人』(丸善ライブラリー)、『本のある風景』(勁草書房)ほか

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