「神戸の本棚」                 植村達男著

第十一回 啄木と神戸を結ぶ一冊の本


  「神戸読書アラカルテ」誌第19号(昭和56年6月)に石川啄木BOOK LISTが
5ページにわたって掲載されている。このリストに載っていない本を一冊紹介する
こととしたい。というのは、この本は数ある啄木関係書の中で、最も神戸に関係が
深い本であると思われるからである。
  宮守計『晩年の石川啄木』(昭和47年・冬樹社)は、明治40年(啄木22歳)から
明治45年の啄木の死までの短い期間に親密な交際をしていた丸谷喜市を
クローズ・アップして、そこから石川啄木への切りこみを試みた本である。
  本書の巻末の「啄木・丸谷関係略年譜」によると、明治40年夏、函館に帰省中の
神戸高商学生丸谷喜市は、函館商業時代の同級生宮崎郁雨に伴われ啄木を
訪ねている。明治43年、丸谷は神戸高商を卒業、東京高商専攻部(現一橋大学)に
進学した。この前年、啄木は函館・札幌・小樽・釧路と北海道各地を転々とした後
上京していたので、啄木と丸谷の交遊は、にわかに深まっていった。
  明治43年の10月、丸谷は並木武雄とともに啄木を訪ね、本郷弓町の喜の徒の
床の2階で「一握の砂」の全部を啄木の朗読で聞いた。そのときの状況を丸谷は後に
次のような歌にして残している。

  「一握の砂」五百首を
  読みきかせし  啄木の声
  いまも耳にあり

  丸谷自身も歌人であり『星に泉に』(昭和41年・百華苑)等の歌集を出版している。
  なお、啄木の詩”激論”に登場する「若き経済学者N]は丸谷をモデルにしたもので
ある。宮守計は「この”激論”一篇が、啄木と丸谷との終生消えぬ友情の記念碑と
なった。」と述べている(152ページ)。
  丸谷喜市は東京高商卒業後、一時長崎高商(現長崎大学)教授を勤めたが、
大正6年母校に迎えられた。また、昭和10年には経済学博士、昭和28年に神戸大学
名誉教授の称号を得、昭和27年からは甲南大学経済学部長も勤めた。
  『晩年の石川啄木』の著者宮守計は、実は丸谷の甥にあたる人である。神戸二中
(現兵庫高校)、高松高商(現香川大学)を経て岩手大学学芸学部を卒業、岩手日報に
入社し論説委員も勤めた盛岡在住のジャーナリストというのが宮守計の経歴である。
この人によって「啄木の生地岩手と神戸」「啄木と丸谷」を結ぶ一冊の本が生まれた
わけである。
(次回は「不思議な小説『風の歌を聴け』」を予定しています)

この原稿は、(株)勁草書房が出版した「神戸の本棚」(1986年10月5日第1版)に発表されたものを再掲示させて頂いたものです。

 植村達男PROFILE

1941年鎌倉市生まれ。1964年神戸大学経済学部卒業、
住友海上火災保険(株)入社。自動車業務部次長、情報センター長
著書に『時間創造の達人』(丸善ライブラリー)、『本のある風景』(勁草書房)ほか

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