「神戸の本棚」                 植村達男著

第十二回 不思議な小説『風の歌を聴け』


  村上春樹の『風の歌を聴け』という小説を読んだ。
  昭和57年4月8日付朝日新聞夕刊の「日記から」というコラムに
村上春樹が次のようなことを書いていた。そして、それにひどく共感を
持ったので、村上春樹(という作家)の本を捜しまわり、新刊
(昭和57年7月15日)の文庫本『風の歌を聴け』に行き当ったのである。

    −思いかえしてみれば学生であった頃よりは社会人になって
   からの方がよく勉強した。それでもどうして学生の頃もっと勉強
   しなかったんだろうという風には考えない。学生だったから勉強
   しなかった。当然の話しである。

  「学生時代の不勉強」については、私も人後に落ちない。その点では
私は村上春樹と同じである。しかし、大学卒業後20年近くを経た私は、
今でも学生時代に勉強しなかったことについて若干のうしろめてさと
後悔の念を持ち続けている。私は大学では本来勉強するべき経済学
にはあまり関心を持たなかった。その一方では第2外国語と卒業論文の
オーストラリア植民史にはやや力を注いだ。そして、学校の成績などと
いうものから全く自由な気分で4年間を過ごしたことについては私は
一種の誇り(?)さえ持っている。要するに私はウジウジしているので
ある。そこを村上春樹は、アッケラカンとして「学生だから勉強しなかった。
当然の話しである。」と簡単に言い切っている。
  失礼ながら村上春樹と角川春樹の区別もよく分からなかった私は、
何の予備知識もなく定価220円の薄い文庫本(講談社文庫)を読み
始めた。
  1970年8月8日から8月26日までの18日間がこの小説の対象期間と
なっている。1970年といえば、いわゆる「70年安保」の年であり、そのことも
わずかではあるが背景として使われている。しかしながら、この物語は
むしろ「僕」、「僕」の友達の鼠と呼ばれる同年輩の男、「ジェイズ・バー」の
経営者のジェイ、レコード店の店員の若い娘の4人を中心としたさしたる
筋もない物語である。
  「僕」は、前は海、後ろは山、隣には巨大な港町がある人口7万余の
町で生まれ、高校卒業まで、この町で育った。今(1970年)は、東京の
大学で生物学を学んでいる。猫を使った実験で2ヶ月間に36匹の猫を
殺したというから、この「僕」はデモやストライキにばかり明け暮れしていた
わけではなさそうである。この物語は丁度「僕」が大学が夏休みで帰省中の
できごとを記したものである。
  「僕」の友達の鼠は、「僕」と同じく人口7万余りの町に住んでいる。
鼠の父は金持ちである。自宅は3階建て、斜面をくりぬいたガレージには
父親のベンツと鼠のトライアンフTRVが並んでいる。鼠は最近大学を
止め、小説を書き始めた。「僕」と鼠は度々会って色々なことについて
言葉をかわす。次は鼠と「僕」が旧華族の別邸を改築したホテルの庭の
プールで交わした対話である。

    「時々ね、どうしても我慢できなくなることがあるんだ。自分が
   金持ちだってことにね。逃げだしたくなるんだよ。わかるかい?」
    「わかるわけないさ。」僕はあきれて言った。

  レコード店の店員の娘はまだ20歳に達していない。「僕」と彼女が
出会ったのは「ジェイズ・バー」の洗面所である。彼女は8歳のとき電気
掃除機のモーターに手の小指をはさんで切断した。このため彼女の
手の指は9本しかない。

    「帰ったわ」と彼女が言った。
    「会いたいな。」
    「今出られる?」
    「もちろん。」
    「5時にYWCAの門の前で。」
    「YWCAで何してる?」
    「フランス語会話。」……

  そして、「僕は彼女をむかえるためにYWCAの前に車をつける。
YWCAの建物は薄汚れて陰気であり、その隣には新しいが安手の
貸しビルが建っている。
  「ジェイズ・バー」のバーテンであるジェイは中国人である。しかし、
「僕」より上手に日本語を話す。
  「ジェイズ・バー」は港の近くにあり、制服を着たフランス水兵が
遊びにきたりする。白いベレー帽に赤いポンポンのついた兵士
らしからぬ格好はいかにも芸術の国フランスらしく、またこの物語に
似つかわしい。
  『風の歌を聴け』は約150ページの薄い文庫本であるが、ところ
どころにエンパイアステートビル屋上から飛び降りて死んだ米国の
作家デレク・ハートフィールド(1909−38年)のことが言及される。
村上春樹はこの作家から多大の影響を受けているようである。
この小説の最後の部分(あとがきにかえて)で村上春樹は高校生の
ころ、神戸の古本屋で外国船員の置いていったらしいハートフィールドの
ペーパーバックスをまとめて買った経験を語っている。この本には
「神戸」という語がたった一ヶ所この部分にでてくる。『風の歌を聴け』の
舞台となった港町は神戸であり、「僕」が生まれ育った人口7万人余の
町は芦屋である。
  『風の歌を聴け』は神戸やそれを推理させるような一切の固有名詞を
省きながら、登場人物や背景、そしてやや乾いた文体までもが神戸
(阪神間)の雰囲気を十分に伝える不思議な魅力を持つ小説である。

(次回は「堀辰雄と竹中郁」を予定しています)
この原稿は、(株)勁草書房が出版した「神戸の本棚」(1986年10月5日第1版)に発表されたものを再掲示させて頂いたものです。

 植村達男PROFILE

1941年鎌倉市生まれ。1964年神戸大学経済学部卒業、
住友海上火災保険(株)入社。自動車業務部次長、情報センター長
著書に『時間創造の達人』(丸善ライブラリー)、『本のある風景』(勁草書房)ほか

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