「神戸の本棚」                 植村達男著

第十四回 挿絵さがし
       ー『蓼喰ふ蟲』小出楢重を追い続けるー


  谷崎潤一郎の代表作の一つ『蓼喰ふ蟲』は昭和3年12月から翌年
6月まで、大阪毎日新聞・東京日日新聞両紙に同時連載された。挿絵を
描いたのが、当時谷崎と同じく阪神間に居住していた小出楢重で、小説
連載中から小説と同様挿絵の方も相当の評判をとっていたという。
  後に谷崎自身もこの挿絵に関する随筆を書いたほか、小出楢重の
死後出版された随筆集(小出楢重『大切な雰囲気』昭和11年・昭森社)の
序に「『蓼喰ふ蟲』の挿絵時代に、遅筆の私が故人(楢重)のかがやかしい
業績(挿絵)に励まされつつ筆を執った」と述懐している。また円地文子は
中央公論社版日本の文学シリーズ23『谷崎潤一郎』(一)の解説で、「この
作品の挿絵が小出楢重画伯で、当時異色であったことも記憶に残って
いる。」と記している。ちなみに昭和38年ごろから逐次刊行されたこの
文学シリーズは挿絵の収録を一つのセールスポイントとしており、
『蓼喰ふ蟲』には50枚近い挿絵が入っている。
  私は昭和38年初めて『蓼喰ふ蟲』を読んで以来、挿絵についても強い
関心を持ち、ぜひ全ての挿絵(83枚)を我が眼で見たいと考えていた。
そこで角川文庫緑帯418の『蓼喰ふ蟲』に加え文藝春秋社現代日本
文学館18『谷崎潤一郎』(三)等をも入手したが重複する絵が多く、
なかなか目的を果たすことはできなかった。
  また、改造社の『蓼喰ふ蟲』初版本(昭和4年)も3万円也をはたいて
手に入れたが、この本は装幀を楢重が行ってはいたものの、挿絵は全く
入ってなかった。この初版本は文学全集の解説にたびたび写真が出るが、
表紙には傘と扇子、函には牡丹の花があしらわれた、なかなか面白い
装幀の本である。
  私の挿絵捜しは十年目に完遂することができた。昭和48年、高田馬場
駅近くの古書店で昭和6年・創元社(大阪)刊の限定版『蓼喰ふ蟲』の
復刻版(日本近代文学館編集・図書月販発売)を発見した。この本には
すべての挿絵が収録されている。
  ここに掲げた挿絵は私が特に好きなものの一つである。昭和初期の
大阪の繁華街を走るタクシーとバスがなんともユーモラスに描かれている。
  楢重の新聞小説挿絵としては『蓼喰ふ蟲』があまりにも有名であるが、
これ以外にも室生犀星『夫婦』(大正15年・大阪毎日新聞)、直木三十五
『大阪を行く』(昭和5年・夕刊大阪新聞)や邦枝完治『雨中双景』(大正15年・
大阪朝日新聞)、同『東州斎写楽』(昭和3年・同上)がある。
  昭和49年、私は西武線富士見台駅近くの古本屋で昭和22年東邦出版
(堺市)刊の『写楽』を購入した。この本には邦枝完治が自ら20年ぶりに
世に送る云々の序を書いているものの、装幀、挿絵が楢重のものである
ことを何もふれていない。終戦直後の世相を反映した仙花紙製のドサクサ本
とでもいえようか。

(次回は「『細雪』から「エマヌエル夫人」迄」
を予定しています)
この原稿は、(株)勁草書房が出版した「神戸の本棚」(1986年10月5日第1版)に発表されたものを再掲示させて頂いたものです。

 植村達男PROFILE

1941年鎌倉市生まれ。1964年神戸大学経済学部卒業、
住友海上火災保険(株)入社。自動車業務部次長、情報センター長
著書に『時間創造の達人』(丸善ライブラリー)、『本のある風景』(勁草書房)ほか

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