「神戸の本棚」                 植村達男著

第十六回 『猫と庄造と二人のをんな』と
                    摩耶・六甲


  昭和41年11月8日から20日まで、東京日本橋三越で「文豪谷崎
潤一郎展」が開催された。このとき私は『猫と庄造と二人のをんな』
(昭和12年初版、昭和21年9月20日再版・創元社、定価35円)を買った。
戦後出た再販本ではあるが、装丁・挿絵が安井曽太郎で、和紙を使った
味わい深い本である。古本屋では現在いくらの値段がついているだろうか。
三越で買ったときは380円であった。
  この本のほぼまん中あたりに1ページをさいて窓からながめた摩耶山の
挿絵がはいっている。本文は、いったん逃げた猫のリリーが六甲の品子の
家へ戻ってくるくだりである。

    「リリーや、……」
   と、階下の夫婦を起さないやうに気がねしながら、彼女は闇に聲を
   投げた。(中略)
   空には星がきらきらしてゐる。眼の前を蔽ふ摩耶山の、幅廣な、
眞黒な肩にも、ケーブルカアのあかりは消えてしまってゐるが、頂上の
ホテルに灯の燈ってゐるのが見える。

  この景色は昭和30年代に御影町郡家にあった私の家の西向きの
便所から見たものとまったく同じである。谷崎がこの小説を書いた
昭和11年ごろにはすでにケーブルもホテルもあったわけである。この
当時谷崎は住吉の反高林に住んでいたので、私が小用を足しながら
ながめた夜の摩耶山は谷崎が見たのと、ほぼ同じ角度になる。今と
なってみれば、数学や英語に苦しみつつ高校・大学入試をめざした
時代がなつかしい。
  ところで、この小説には阪急六甲あたりも出てくる。六甲に行って
しまったリリーに会いたいがため、芦屋に住んでいた庄造は妻福子の
外出の目を盗んで阪神国道を自転車で西へ走る。「二人のをんな」とは
すなわち品子(最初の妻)と福子(現在の妻)のことである。

    庄造は、まだおもてが薄明るいので、その提灯を腰に挿して
  出かけたが、阪急の六甲の停留所前、「六甲登山口」と記した
  大きな標柱の立ってゐる所まで来て、自転車を角の休み茶屋に
  預けて、そこから二、三丁上にある目的の上の方へ、少し急な
  だらだら路を登って行った。そして家の北側の、裏口の方へ廻って、
  空地の中へ入り込むと、二・三尺の高さに草がぼうぼうと生えてゐる
  一とかたまりの叢のかげにしゃがんで、息を殺した。

  「神戸の本棚」(本書3ページ・本ホームページ第1回目)で紹介した
「エクラン」は、この当時すでに開店していたことになる。今の阪急六甲
附近は夜でも明るく何やらバタ嗅い感じがする。谷崎のこの文からは
夜は暗く、人家もまばらで、バタ嗅さなどはみじんもなく、味噌汁か
タクアンの香りがただようような所であったにちがいない。

(次回は「高畠達四郎『白チューブの魅惑』から」を予定しています)

この原稿は、(株)勁草書房が出版した「神戸の本棚」(1986年10月5日第1版)に発表されたものを再掲示させて頂いたものです。

 植村達男PROFILE

1941年鎌倉市生まれ。1964年神戸大学経済学部卒業、
住友海上火災保険(株)入社。自動車業務部次長、情報センター長
著書に『時間創造の達人』(丸善ライブラリー)、『本のある風景』(勁草書房)ほか

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