「神戸の本棚」                 植村達男著

第十九回 久々の谷崎伝『仮面の谷崎潤一郎』


  昭和59年10月、神戸そごう百貨店で、生誕100年記念と銘打って
「谷崎潤一郎・人と文学」展が開催された。この展覧会にちなんで、
谷崎松子(谷崎順一郎夫人)が、神戸のタウン誌「神戸っ子」(昭和59年
10月号)に「なつかし私の故里」というタイトルでエッセイを寄稿している。
冒頭で「神戸は、故里とよばせて頂きたいなつかしい土地なのです」と
述べ、谷崎とともにフランス映画を見に行ったり、ユーハイムやフロイン
ドリーブで買物した想い出を書いている。谷崎順一郎は、大正12年の
関東大震災を機に関西へ居を移し、昭和31年にほぼ完全に京都を
引き揚げ熱海へ移るまで、33年余を関西で過ごした。この期間は文壇
生活50年余の過半を占め、この間に『痴人の愛』、『卍』、『蓼喰ふ蟲』、
『春琴抄』、『猫と庄造と二人のをんな』、『細雪』など多くの作品を書き、
また源氏物語の現代語訳も手がけている。
  谷崎の生誕100年にあたる昭和59年に、久々に谷崎潤一郎の伝記が
出版された。ここに紹介する『仮面の谷崎潤一郎』である。本書は元朝日
新聞記者(現在は帝塚山学院大学教授)という経歴を持つ著者大谷晃一が、
得意の徹底的取材と分析によって関西在住期間の谷崎の実生活を追い、
彼の実生活と文学のつながりを究明したものである。「谷崎という人が、
深刻な、ときには悪戯っぽい秘密を行間にひそめている。その作品それ
自体とは別に、ある特定の人に信号を送っている。一つの作品を書こうと
すると、その虚構を実生活の中につくり上げて、その舞台の上で自ら演じ
つつ書き進める。」(あとがき)。谷崎が「信号を送った」相手とは、例えば
根津清太郎夫人であり、後に谷崎の三番目の妻となる松子である。
  著者は大阪生まれで関西学院卒、現在も関西に在住しており土地勘が
あり、谷崎の実生活を風土との関係で良くとらえている。また、谷崎と交友の
あった多数の人々とインタビューをくり返し貴重な証言を得ている。特に
昭和5年、谷崎が最初の妻千代夫人を佐藤春夫へ譲ってから、古川丁抹子と
結婚・離婚、根津松子と結婚するまでの事実の収集と谷崎の心の動きの
分析は見事なものである。また、妻以外の谷崎をめぐる女性たちの動向も、
従来の伝記をさらに深く掘り下げている。谷崎の伝記としては野村尚吾著
『伝記谷崎潤一郎』(昭和47年・六興出版)がある。本書は時代が限られて
いるものの野村尚吾の著作刊行以来、久々の本格的伝記である。
  本書は、大阪に本社を置く創元社から出版されている。谷崎はこの出版社
から『春琴抄』、『猫と庄造と二人のをんな』等の多数の本を出している。大谷
晃一は本書の中で創元社の編集者と谷崎との交流をたびたび描いている。
特に軍部の圧迫下の中で『細雪』を執筆中に、谷崎と創元社が緊密な連絡を
とりながら少部数印刷した本を戦火から守り、出版の機会を持っていたようすが
描かれているのが興味深い。
(次回は「港恋し」を予定しています)

この原稿は、(株)勁草書房が出版した「神戸の本棚」(1986年10月5日第1版)に発表されたものを再掲示させて頂いたものです。

 植村達男PROFILE

1941年鎌倉市生まれ。1964年神戸大学経済学部卒業、
住友海上火災保険(株)入社。自動車業務部次長、情報センター長
著書に『時間創造の達人』(丸善ライブラリー)、『本のある風景』(勁草書房)ほか

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