「神戸の本棚」                 植村達男著

第二十二回 港町の小説『ジェームス山の李蘭』


  この小説の書き出しは「八坂葉介には、生来、ジゴロとなる素質が
あるようであった」という短文で始まる。ジゴロ(gigolo)というフランス語
には独特の雰囲気があり、英語も日本語もそのままジゴロ(この言葉の
意味がわからない読者は国語辞典か英和辞典をひいていただきたい)
という用語を使用している。
  八坂葉介は終戦後の横浜で中学・高校時代を過ごす。当時の横浜は
「若いGIや第三国人が闊歩して妙に活気にあふれていた」そして「不良
少年たちが、数々の悪事を企んで映画の入場料などの小金を手にする
のには、打ってつけの場所であった」(14ページ)という。八坂葉介は
三渓園の裏手にあったセント・ジルチ学園の中等部2年のころから
学校内の不良グループの仲間に入っていた。盗み、飲酒、暴力……。
そしてセント・ジルチ学園高等部の最上級生のころには横浜の暗部を
押さえている中年男の手引でジゴロの道に入っていた。
  17歳にしてジゴロになった八坂葉介の数奇な物語は昭和57年冬、
神戸のジェームス山(神戸市須磨区塩屋町西ノ田)の古い洋館が焼失し
洪李蘭という63歳の老女が、焼死体となって発見されるところで終わる。
  昭和26年、横浜で米軍の日系二世宅へハウスボーイとして住みこんで
いた八坂葉介は、脱走兵となった主人について、翌昭和27年神戸へ
やってくる。神戸では外人専用のバー「ドミノ」を開く。「ドミノ」に常連として
来ていたのが洪李蘭であり、八坂葉介はこの年上の中国人女性とともに
彼女が焼死するまでの四半世紀近く同じ屋根の下に暮らす事となった
のである。
  本書の著者樋口修吉は、昭和13年生まれで、慶応義塾大学(文学部
および法学部)を卒業後三井物産勤務を経て、現在はフリーのライターを
職としている。この小説の主人公八坂葉介は著者より若干年長の昭和
一ケタのドンジリ生まれに設定されている。この小説では八坂葉介の
体験を通じ、敗戦直後の横浜や、戦後の復興期の神戸が実に生き生きと、
描かれている。
  作家山口瞳は、『ジェームス山の李蘭』の著者樋口修吉を「独特というか
異端というか、変った文章を書く人」と評している。第36回小説現代新人賞を
受賞したというこの作品は、何か不思議な後味を読者に残す物語である。

(次回は「獅子文六『バナナ』の神戸」を予定しています)

この原稿は、(株)勁草書房が出版した「神戸の本棚」(1986年10月5日第1版)に発表されたものを再掲示させて頂いたものです。

 植村達男PROFILE

1941年鎌倉市生まれ。1964年神戸大学経済学部卒業、
住友海上火災保険(株)入社。自動車業務部次長、情報センター長
著書に『時間創造の達人』(丸善ライブラリー)、『本のある風景』(勁草書房)ほか

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