「神戸の本棚」                 植村達男著

第二十四回 松井敬子『いっぴきの蟻』のこと


  30歳代も終わりに近づいた年齢になった今でも、ときどき学校時代の
夢を見る。多くは「宿題を忘れた」「習字の道具を忘れた」に類するロクでも
ない夢である。しかし、たまには楽しい夢を見ることもある。
  それは、放課後に校舎の裏庭を歩いて図書館に向かう高校生時代の
夢である。六甲山麓にある校舎の裏庭の木々は紅や黄色に近づいている。
夢に出てくる図書館は木造の建物なので、このシーンは高校1年の秋という
ことになる。なぜなら、木造の図書館は翌年鉄筋コンクリートの建物に建て
直されたからである。
  そのころ読んだ古いノートを頼りに拾ってみると、次のとおりである。
志賀直哉『小僧の神様』、中勘助『銀の匙』、島村藤村『破戒』『家』、森鴎外
『青年』、二葉亭四迷『平凡』、ヘッセ『車輪の下』『デミアン』『旋風』、エリオット
『サイラス・マーナー』、シュトルム『白馬の騎士』、ジイド『田園交響曲』
『狭き門』、魯迅『阿Q正伝』、岡部伊都子『おむすびの味』、門田勲『外国拝見』、
伊東三郎『エスペラントの父・ザメンホフ』、松井敬子『いっぴきの蟻』……。
  最後の数冊以外は月並みな本ばかりである。伊東三郎の『エスペラントの
父・ザメンホフ』は国語科の宿題で「伝記を読みその感想文を書く」ことを
課せられ、読んだものである。当時の私は白水社の『エスペラント第一歩』
という入門書を買い独習を始めていた。それでエスペラントの創始者ザメンホフ
の伝記を選択したのである。20余年を経た今日、私は日本エスペラント学会の
会員で、エスペラントに関する国内雑誌2種類と、オランダに本部のある
エスペラント国際機関誌(月刊)、中国の全文エスペラント月刊誌、ハンガリーの
全文エスペラント隔月刊誌を購読している。思えばずいぶん深入りしてしまった
ものである。
  最後の松井敬子『いっぴきの蟻』は忘れがたい本である。著者は同じ高校の
1学年上級の在籍者であったが、在学中交通事故で亡くなった。『いっぴきの蟻』
は著者の母が小学校6年から高校1年までの日記を編んで、自費出版のような
形で出したものである。この本を読んだきっかけは、先に読後感想文の宿題を
課したと同じ道盛正先生が、授業中にこの本に言及したことによる。その時道盛
先生は「君たちの年代は、こんなにも色々のことを考えるものかなあ」といった
ような述懐をもらしていたことを記憶している。
  『いっぴきの蟻』を読んだことは、少なからず後の私の「考え方」に影響を与えて
いるというのが私の自己分析である。元来、転記のごとき単純作業が好きでない
私が、珍しくも『いっぴきの蟻』の一節をノートに写している。よほど共感をおぼえた
箇所だったのであろう。以下にその部分を記しておこう。

    一体何が正しくて何が正しくないのだろう。一体誰れが正しくて誰れが
  正しくないのだろう。西郷隆盛など、ある本とってもいいように書いているし、
  ある本は悪いように書いている。己の立場にならないと良い悪いは決め
  られぬものだ。どんな罪人でもある人からだと良い兄であるかも知れない。
  どんな英雄でもある人はうらみをもっているかも知れない。よしあしは
  きめられない。……

  トツトツとしながらも、なかなかいいことを言っている。20余年を経った今、
もう一度『いっぴきの蟻』を読んでみたいと思う。母校の図書館には今でもこの
本が置いてあるだろうか。あるいは、この本を再び読むことはできず、
『いっぴきの蟻』は私にとっての「幻の本」であろうか。それとも、私の念力で
もって、三宮か元町の廉価本の山の中から発掘することができるかも知れない。

(次回は「旅と活字」を予定しています)

この原稿は、(株)勁草書房が出版した「神戸の本棚」(1986年10月5日第1版)に発表されたものを再掲示させて頂いたものです。

 植村達男PROFILE

1941年鎌倉市生まれ。1964年神戸大学経済学部卒業、
住友海上火災保険(株)入社。自動車業務部次長、情報センター長
著書に『時間創造の達人』(丸善ライブラリー)、『本のある風景』(勁草書房)ほか

トップページへ戻る            

前のページへ戻る