「神戸の本棚」                 植村達男著

第二十八回 二人のエスペランチストを偲んで


  (財)日本エスペラント学会機関誌 La Revuo Orienta(ラ レヴーオ オリエンタ)
昭和58年2月号に、昨年10月に相次いで亡くなられた二人のエスペランチストの
ことが出ていた。城戸崎益敏、セバスチャン・クノール両氏である。
  城戸崎益敏氏(元岩崎通信機常務)には1度もお会いしたことはない。しかし、
何としても私にとって忘れられないお名前である。昭和32年秋、高校1年生だった
私は神戸の大丸百貨店の書籍売場で、『エスペラント第一歩』(白水社)という本を
買った。これが、私のエスペラント学習のはじまりである。この本は、いつのまにか
私の手元を離れ、どこかへ行ってしまった。したがって、この原稿を書きながら参照
できないのは残念であるが、『エスペラント第一歩』の持つ雰囲気は、今でも記憶の
どこかにとどまっている。La Revuo Orienta 誌の城戸崎益敏氏の追悼文の中に
「城戸崎さんの仕事は知識と律儀さと、忍耐の上にできている」(松本健一)、
「社会的毛並みのよさ」(福田正男)といった言葉と、私が今でも記憶している
『エスペラント第一歩』という本が持つ雰囲気とは、一脈通じるところがある。
  ところで、三和銀行に勤務していた時代の城戸崎さんを知る人が私の身近に
居ることがわかった。戦後まもなく三和銀行の業務部に3人の次長がいて、
行内では「業務部の三崎
(さんざき)」と呼ばれていた。城戸崎益敏、山崎隆夫、
潮崎計三の3人で、私の知人は三崎の一人の山崎隆夫氏である。この山崎氏
から最近三和銀行のOBの雑誌「和光」(昭和57年12月25日発行、第46号)に
掲載された「城戸崎益敏氏を偲ぶ」という記事を頂戴した。この追悼文の著者は
「業務部の三崎」の一人、潮崎計三氏である。この文によると三和銀行業務部
時代、城戸崎益敏氏は、「得意の企画性を発揮して店舗計画に専念し」たそうで
ある。また、文末は「エスペラントを極められ、その道の重陣だったとのこと。
著書もあり知る人ぞ知る大家。然し君はそのことに付いて一言も洩らさなかった。
今更乍ら人格の床しさをしのぶものである」とエスペラントに言及された言葉で
締めくくられている。なお、三崎の一人、山崎隆夫氏もユニークな人物で、三和
銀行からサントリーにうつり宣伝部長をつとめた。山崎部長時代のサントリー
宣伝部から、開高健、山口瞳、柳原良平等が輩出した。広告宣伝の仕事を
退いた今、山崎隆夫氏は少年時代から夢見ていた本職の洋画家(国画会会員)
である。山崎氏はエスペランチストではないが、ある程度の理解者で、3年前に
栗原小巻主演のTBSテレビ「望郷の星」(長谷川テルのドラマ化)が放映された際、
わざわざ茅ヶ崎の自宅から八王子(当時)の我が家まで、電話をかけてきて、
エスペラントに対する官憲の迫害について、「エスペラントは、昔はあんなんやった」
と独特の関西弁で感想を述べられたことがあった。山崎隆夫氏を通じ城戸崎
益敏氏はいっそう私にとって身近な存在になった。
  城戸崎氏が亡くなったのは昭和57年10月9日であるが、その前日の10月8日、
カトリック神父であるセバスチャン・クノール氏が神戸で亡くなった。
  私が初めてクノール神父と会ったのは『エスペラント第一歩』を買った翌年の
昭和33年1月のことである。場所は東海道線元町駅(神戸)の北側にあった海洋
会館の一階である。この日、神戸エスペラント協会(KEA)の新年会が催され、
私は初参加した。このとき私はエスペラントを実際に読み、書き、話す人々を
初めて知った。しかも、その中にクノール神父が居て、日本人とドイツ人が第三の
言葉エスペラントで話す現場(?)を身をもって見聞きすることができた。
  クノール神父は六甲学院(中・高校)の先生でもあり私が神戸にいた
昭和39年まで、いろいろお世話になった。神戸高校エスペラント研究会の
アンケートに答えていただいたこともあった。ちなみに、このアンケートには当時
大阪市立大学助教授であった梅棹忠夫氏もカナタイプライターで打った回答を
寄せられ、部員一同感激したものである。
  クノール神父は丸顔の温顔の人であった。La Revuo Orienta 2月号には
クノール神父の教会の同僚であるペレッティ神父からの、クノール神父が
亡くなったことを知らせる手紙
(日本エスペラント学会宛)が、そのまま掲載されている。
これによると、クノール神父はバイエルンでエスペラントの勉強を始め、
エスペラントが縁で46年前に来日することになったという。また、67歳で亡くなる
最後まで、エスペラント(の雑誌)を読んでいたとのことである。なお、私は20年前、
カトリック教会経営の語学学校兼学生寮「六甲会館」で1年間だけイタリア語を
習ったことがあったが、ペレッティ神父はそのときの先生である。クノール神父は
この六甲会館でドイツ語を教えていて、私も六甲会館の食堂で2、3回話をした
ことがあった。
  『エスペラント第一歩』の著者城戸崎益敏氏と私が初めてあった外人
エスペランチストのクノール神父は、忘れようと思っても忘れられない懐かしい
人物である。

(次回は「古本をめぐって」を予定しています)

この原稿は、(株)勁草書房が出版した「神戸の本棚」(1986年10月5日第1版)に発表されたものを再掲示させて頂いたものです。

 植村達男PROFILE

1941年鎌倉市生まれ。1964年神戸大学経済学部卒業、
住友海上火災保険(株)入社。自動車業務部次長、情報センター長
著書に『時間創造の達人』(丸善ライブラリー)、『本のある風景』(勁草書房)ほか

トップページへ戻る            

前のページへ戻る