「神戸の本棚」                 植村達男著

第二十九回 古本をめぐって


  私の父は古本が嫌いであった。小学校5〜6年生のころ、近所の一学年
上級の少年が私に講談社の世界名作全集を1冊百円で買わないかと言った
ことがあった。私は『巌窟王』や『宝島』を自分のものにしたくて、家へ帰って
この話をしたところ、父にひどく叱られた。父のいうのに「古本は不潔だ!」
  この父の一言が強く印象づけられ、古本や古本屋は私にとって立ち入って
ならない領域であるような思いがしていた。

  私が初めて古本を買ったのは、このことがあってから5〜6年後のことで
ある。高校2年生のとき、阪神電鉄御影駅の近くの間口2間ぐらいの小さな
古本屋で『更級日記』の注釈書を買った。この物語の中で作者が伯母から
源氏物語を貰って喜ぶところや、姉とともに夜明けまで月をながめあかした
ところが印象深く、日焼けした赤い表紙の注釈書を買ってみる気になった
のである。あとで気がついてみると、この本の初めの数ページにわずかながら
赤鉛筆で線が引いてあり、私は一種の生理的嫌悪感をいだいた。結局、
この本はあまり深く読むには至らなかった。
  それからさらに15年後の昭和49年2月のこと。高校時代の同級生で
医者の宮地陽吉の結婚式が神戸であり、この機会にくだんの古本屋に
立ち寄ってみることにした。小牧書店は確かに同じ場所にあった。しかし、
昔の面影はまったくなかった。黄色い電球は蛍光灯に代り、ガタガタの
硝子戸はアルミサッシュに代っていた。そして、何よりも驚いたのは小牧
書店が文房具店を兼営していることである。(新刊書店が文房具を扱って
いるのはたびたび眼にするのだが……)。
  せっかく15年振りに訪れたので、何でも良いから1冊買っていこうと思い
ずいぶん時間をかけたうえ、吉本晴彦『ドケチ商法』を選んだ。
  『ドケチ商法』には料金受取人払いの愛読者カードが挿入されており、
有効期日まであと十数日を残していた。このハガキに次のようなアンケートが
あった。「あなたはどのようなケチを実践していますか?」
  私の答えは「この本(定価5百円)が出版されたとき銀座・旭屋書店で
パラパラと立ち読みしたが買わなかった。そして昭和49年2月に神戸の
古本屋で発見したので2百円也で購入した。」

  『ドケチ商法』
は今、私の手元にはない。この本を私は父に貸した。父は
「面白かったが、くだらん本だ。」というような感想を述べて返却して来た。
その後の『ドケチ商法』の運命は、他の本といっしょに渋谷の古本屋に売られ、
その日のコーヒー代の一部になってしまった。

(次回は「偕成社の偉人伝」を予定しています)

この原稿は、(株)勁草書房が出版した「神戸の本棚」(1986年10月5日第1版)に発表されたものを再掲示させて頂いたものです。

 植村達男PROFILE

1941年鎌倉市生まれ。1964年神戸大学経済学部卒業、
住友海上火災保険(株)入社。自動車業務部次長、情報センター長
著書に『時間創造の達人』(丸善ライブラリー)、『本のある風景』(勁草書房)ほか

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