「神戸の本棚」           植村達男著

第三回 三人の女流作家


  昨年(昭和53年)9月、書店で「マスコミひょうろん」という100
ページ余の薄い雑誌を初めて買った。定価は300円だった。この号
には鈴木均の「筑摩書房倒産の教訓とてんまつ」等々興味深い記事が
たくさん載っていて、すべての記事を読了した。こんなことは、小学校
5・6年生のころの「少年クラブ」以来ほとんどなかったことである。
  ところで、「マスコミひょうろん」誌は昨年12月号の編集時点で
編集人と発行人の間にゴタゴタが起り編集長が代った。その後同誌は
5月から「マスコミ評論」と書名を微修正して発行を続けている。一方、
旧編集長はマスコミ評論社を飛び出し、「噂の真相」という雑誌を本年
(昭和54年)4月号(創刊準備号は12月)から発行している。私は
ゴタゴタ後も「マスコミ評論」「噂の真相」両誌を購読しているが、以前の
「マスコミひょうろん」に比べて、前者はうす味になり、後者は下品かつ
ドギツクなったと思う。
  うす味の「マスコミ評論」4月号に珍しくパンチのきいた記事をみつけた。
「知られざる作家の横顔」シリーズ第25回の曽野綾子の卷である。
ことの事実の究明は別として概略を記すと次のようになる。
  曽野綾子と有吉佐和子はデビュー時期が同じ女流作家で、たびたび
比較される。有吉には『非色』『紀ノ川』など文学的完成度の高い作品が
あるが、曽野にはない。一方、曽野は美人である。そして評者は曽野を
「女優でいうなら、確かに美しいが面白みに欠ける香川京子に似ている」
と評し、「曽野はまだ当分、有吉にハンデをつけられそうである。」と結んで
いる。
  これを読んで私は、「美人と文学とは何の関係があるのか?」とか
「香川京子のメジリのシワは仲々愛嬌があるではないか!」とか疑問や
異論を持ったが、しばらくの間、この記事のことを忘れていた。
  それから約1ヵ月、私は渋谷駅近くの古書センターの一階売場で
梶山季之編集の雑誌「噂」の端本3冊をみつけ150円で買った。彼の
弁によると「噂」誌は最近ほとんど古本市場に出ないとのことであった。
「噂」誌の昭和48年新年号にも曽野・有吉のことが出ていて、文学全集を
編集する場合、曽野・有吉を抱き合わせて一冊にすることは出来ない
ことになっている由である。どうやら2人は相当のライバル意識を持って
いるようだ。
  ところで、終戦直後の民主化の波に乗り神戸中学校自治会連盟という
組織がつくられたが、その際、神戸三中(長田高校)委員長牛尾治郎
(牛尾電気会長)、神戸一中(神戸高校)書記長小松実(作家小松左京
の本名)等とともに、川崎澄子(久坂葉子の本名)は山手女学校
(山手女子高校)の委員長として同連盟の一員であったとのことである。
  私は久坂葉子の文学的才能の有無等につき論ずる力は持たないが、
彼女の初期の二作品「入梅」「落ちてゆく世界」の構成や人物描写・
社会描写、音楽に関する事柄の降り込み方(久坂は相愛女専音楽科を
中退)等は、これが18歳の少女の作品とはとても信じられず見事な
出来栄えだと感じた。これからも時々読み直したいと思っている。
  ただし、久坂が死に近い時代に書いた作品は読んでいてちっとも
面白くなく、緊張感も乏しくただ感情を整理しないままに活字として
はき出したようなものである。これはたぶん久坂の人生上の悩み等の
反映であろうが、もしかすると久坂が美人であったため周囲の作家連中
であるVIKINGの同人たちがチヤホヤしたために久坂が堕落した結果
かもしれない。
(次回は「割れた魔法瓶ー甲陽学院と『天の夕顔』ー」を予定しています)
この原稿は、(株)勁草書房が出版した「神戸の本棚」(1986年10月5日第1版)に
発表されたものを再掲示させて頂いたものです。


 植村達男PROFILE

1941年鎌倉市生まれ。1964年神戸大学経済学部卒業、
住友海上火災保険(株)入社。自動車業務部次長、情報センター長
著書に『時間創造の達人』(丸善ライブラリー)、『本のある風景』(勁草書房)ほか

トップページへ戻る

前のページへ戻る