「神戸の本棚」                 植村達男著

第三十二回 懐かしのメロディー


  土曜日曜はもちろん、会社勤めの帰りにも、たびたび渋谷旭屋書店に
立ち寄る。本を買ったり立読みしたりする以外に、この本屋にはもう一つの
楽しみがある。この楽しみとの出会いは、年に1〜2回、多くても3〜4回と
いうところである。
  岩波新書の新刊『ああダンプ街道』を手にしたときであったから、あれは
昨年5月末から6月にかけてのことであろう。その「楽しみ」がやってきた。
書店が流しているBGMの曲が終わり、次の曲に移る短い時間の静けさの後、
私にとっての「懐かしのメロディー」が静かにそしてゆっくり流れてきた。
マスカーニ作曲「カヴァレリア・ルスチカーナ」の間奏曲である。
  
私が高校2年生のとき、私の通っていた高校にオーケストラが誕生した。
フルート金昌国、クラリネット朝比奈千足という今から考えれば豪華な(?)
メンバーのオーケストラであったが、結成したばかりの高校生のオーケストラの
レベルに大きな期待をするのは無理な話である。わが高校のオーケストラは
音楽会、文化祭、入学式、卒業式とたびたび「カヴァレリア・ルスチカーナ」を
演奏し、私は聴衆の一人として繰返しこの曲をきいた。「さぎりきゆるみなとえの」
という「冬景色」の歌い出しにも似たこの曲は、テンポがゆっくりしており、初心者
にも演奏しやすかったのだろうか。高校を卒業して四半世紀、「カヴァレリア・
ルスチカーナ」を聴く機会はほとんどなかった。このため、ごくたまにこの曲を聞くと、
私は高校生時代に引き戻されたような錯覚に陥る。大学入試への不安にさいなまれ
ながらも、エスペラントに熱中し、雑多な本を読み漁っていたあの日日……。

  「カヴァレリア・ルスチカーナ」間奏曲はわずか3分余の短い曲である。この曲が
終わると、私は今の自分がもはや高校生ではなく、3人の子供のオトーサンで
あることに気がつき、井の頭線に乗って妻子の待つ家路に急ぐのである。

(今回で「神戸の本棚」を終了します。長い間ありがとうございました)

この原稿は、(株)勁草書房が出版した「神戸の本棚」(1986年10月5日第1版)に発表されたものを再掲示させて頂いたものです。

 植村達男PROFILE

1941年鎌倉市生まれ。1964年神戸大学経済学部卒業、
住友海上火災保険(株)入社。自動車業務部次長、情報センター長
著書に『時間創造の達人』(丸善ライブラリー)、『本のある風景』(勁草書房)ほか

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