「神戸の本棚」           植村達男著

第五回 六甲山から街をみると


  この一年の間に、しばらく忘れていた作家横光利一のことについて、
いくつかの情報を得た。
  昨昭和54年3月8日付の日本経済新聞夕刊に、次のような記事が
でていた。見出しには「横光利一の”幻の作品”『音楽者』原稿見つかる」で、
これまで行方不明になっていた大正6年横光白歩の筆名で書いた短編
小説の原稿が見つかったというのである。当時、横光利一は19歳であった。
この記事の末尾に作家森敦が「横光利一のまな弟子」というカッコ付で
談話を発表、「『音楽者』はそう重要な作品ではないが、横光さんの初期
作品を研究するうえで大変いいものだと思う」と結んでいた。
  このことが頭の隅にあったかどうかは、わからないけれども、同じく
昨年末に角川文庫の新刊(11月30日初版発行)の森敦『星霜移り人は
去る』を買った。このタイトルはなかなか魅力的で、どちらかというと
タイトルに惹かれて、本を手にとって見る気になった。この本には実に
たびたび横光利一が登場する。特に注目したのは68ページの『家族会議』
に関する叙述である。すなわち、森敦は現在の外見からみて以外にも
柔道が得意であり、彼の柔道に関する自慢話を横光利一が『家族会議』の
乱闘シーンにとり入れたというのである。
  『家族会議』を私は昭和38年1月に読んだ。というのは、この年の
お正月のNHKのテレビ・ドラマで『家族会議』がとりあげられ、六甲山の
シーンが出てきたので、読む気になったのである。当時、阪急御影駅から
南へ下って五分ぐらいのところにあった私の家のテレビはもちろん白黒、
ドラマの出演者の男優のほうはすっかり忘れたが、女優は小林千登勢と
磯村みどりで、二人の向きあった横顔のアップのシーンが、今でもまぶたに
焼きついている。
  手元にある新潮文庫版『家族会議』(昭和37年9月・19刷)の146ページに
六甲山から神戸市街をみた風景が描かれている。

    清子は一人皆から離れて窓から外を眺めていた。淡路や神戸の
  港が一望の中に見降ろせた。麓の海岸の家のガラスが一二枚強く輝いて
  眼を射るのが交ってゐた。小説を読む楽しみのうちの一つに、このような
  キラリと光る描写に行きあたることが挙げられる。
この部分を読むまで山の上から見下ろした際、光線の具合で麓の民家の
ガラス窓が眼を射るなどという事象を認識したことはなかった。私は、
このような体験を持ったような気もするし、そうでないような気もする。しかし、
横光利一はこの小説を書いた昭和10年までの間に、たしかに『家族会議』で
描写したような体験を持ったに違いない。体験なくして、空想によって、
このような微妙な光景を表現することは、不可能であろう。
  暇をみて、20歳代初めに読んだ『家族会議』を、もう一度通読してみよう。
それにしても、当時あまり気にならなかった旧仮名づかいや正字が気になる。
私のもっている本の表紙は『家族會議』と書かれている。

(次回は「中山伊知郎と野坂昭如」を予定しています)
この原稿は、(株)勁草書房が出版した「神戸の本棚」(1986年10月5日第1版)に発表されたものを
再掲示させて頂いたものです。


 植村達男PROFILE

1941年鎌倉市生まれ。1964年神戸大学経済学部卒業、
住友海上火災保険(株)入社。自動車業務部次長、情報センター長
著書に『時間創造の達人』(丸善ライブラリー)、『本のある風景』(勁草書房)ほか

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