「神戸の本棚」                 植村達男著

第八回 「六甲ガーデン」と「ガーデン六甲」


  「野のしおり」第6号(昭和53年10月)に、昭和26、7年ごろの阪急
六甲駅付近の出来事が書かれている。
  かつて、阪急六甲駅の山側に六甲ガーデンという喫茶店があった。
則武亀三郎「六甲ガーデン・過ぎしものみな美しきかな」は、30年も昔の
情景を映画を見ているかのように鮮明に描いている。六甲ガーデンは
「道のそばにコッテージ風の本館があって広いテーブルを椅子が囲んで
いた。(中略)『コーヒーだ。庭で飲むよ』というと(マダムのお嬢さんが)
素直にトントンと自然石の階段を降りて、真ん中が踊り場になっている
藤の棚のテーブルにコーヒーを運んで下さった……」。
  則武亀三郎によると土曜・日曜になると神戸大学や関西学院大学の
学生バンドが六甲ガーデンに来て、いろいろな曲を演奏し、曲に合わせて
踊り場の中で踊っている若い男女もいたという。
  この六甲ガーデンを小説の一齣に使用した作品がある。『花のれん』で
昭和33年に直木賞を受賞以来、現在まで活躍を続けている山崎豊子の
『女の勲章』である。この小説の中で、六甲ガーデンは聖和服飾学院の
職員である津川倫子と三和織物の社員野木啓太の待ち合わせ場所に
使われている。2人は「六甲駅前の喫茶店、六甲ガーデンで5時に合う
約束をした。」(新潮文庫版『女の勲章』139ページ)「六甲駅へ下りると、
約束の時間より20分遅れていた。倫子は(中略)駅前のコーヒーショップの
扉を開けた。」(144ページ)と六甲ガーデンが描かれている。しかし、
則武亀三郎のような六甲ガーデンの”個性”を描いた箇所は見当らない。
147ページには、野本が「コーヒーショップの窓から、山裾が駅前のあたり
まで迫っている六甲山を見上げた」とあるが、私の知っている阪急六甲駅
付近からは、どうも、このような情景は浮かんでこない。
  昭和58年6月、南天荘書店が「六甲YOUマップ」を発行した。このイラスト
マップに阪急六甲駅山側に「六甲ガーデン」ならぬ「ガーデン六甲」という店が
書きこまれている。「六甲ガーデン」は20年以上も前になくなってしまったが、
最近になって旧六甲ガーデンの隣接地に「ガーデン六甲」という店が出現した
のである。
  私は、昭和58年11月3日にガーデン六甲を訪ねてみた。則武亀三郎が
「野のしおり」第6号で描いた六甲ガーデンや、昭和35年6月ごろ私がただ
1度だけ入ったことのある六甲ガーデンとはまったく違う雰囲気の店であった。
しかしながら、ガーデン六甲の経営者は、かつての六甲ガーデンを良く知る人
であり、「大人がくつろげる落ち着いた雰囲気の店」を目指して、内装・調度に
工夫をこらして作った店であることを聞いて心なごむ気がした。

(次回は「大岡昇平の本」を予定しています)

この原稿は、(株)勁草書房が出版した「神戸の本棚」(1986年10月5日第1版)に発表されたものを
再掲示させて頂いたものです。


 植村達男PROFILE

1941年鎌倉市生まれ。1964年神戸大学経済学部卒業、
住友海上火災保険(株)入社。自動車業務部次長、情報センター長
著書に『時間創造の達人』(丸善ライブラリー)、『本のある風景』(勁草書房)ほか

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